leesweblog.way-nifty.com > Gedenkestaette Buchenwald ブーヘンヴァルト強制収容所記念施設

ドイツ、テューリンゲン州、ワイマールWaimarとエルフルトErfurtの間に位置するEttersbergという丘陵にかつて造られたブーヘンヴァルトBuchenwaldの強制収容所記念施設Konzentrationslager Gedenkstaetteを訪ねた際の写真
http://www.buchenwald.de/

(以下、Gedenkstaette Buchenwaldのパンフレットより翻訳・引用)

1937年テューリンゲン州 Thueringen、ヴァイマール Weimar近郊のEttersbergエッタースベルグにブーヘンヴァルト強制収容所 KZ Buchenwaldは設置された。当初はこの収容所は、ナチ政権下での政治的敵対者、前科のある犯罪者そしていわゆる反社会的存在、ユダヤ人、エホヴァの証人、同性愛者に対して用いられるよう定められたが、第二次大戦の勃発に伴い、ますます多くの人々が外国から移送されてくることとなった。解放に際しては、囚人の95%はドイツ人ではなかった。とりわけ1943年以降、ブーヘンヴァルト内ならびに総計136箇所の外部配属 Aussenkommandoにおいて、強制収容所の囚人達(1944年以降は女性も含む)は軍需産業において容赦なく利用された。この収容所は計画的虐殺のための場所ではなかったにもかかわらず、捕虜の大量殺害が起こり、医学実験とSSの気まぐれによって多くの囚人の命が奪われた。囚人の絶滅収容所への選別作業によって、ブーヘンヴァルトは殺戮機関の内へと統合されていた。1945年始めに、この収容所は、アウシュヴィッツ Auschwitzとグロースローゼン Gross-Rosenからの疎開移送の終着地ととなった。解放の直前に、SSは、収容所を退去しようとして、28,000人の囚人を死の行進へと追いやった。900人を超える子どもと青少年を含む約21,000人の囚人が収容所に残った。
1945年4月11日、アメリカ軍第3部隊がエッタースベルクに到達。SSは逃亡、地下抵抗組織の囚人らが収容所を開放した。
総計で、1937年から1945年までに約250,000人が拘留され、そのうち50,000人以上が命を落とした。