カテゴリー「論文経過報告断章?」の7件の記事

2007.11.07

「文化」vs「野生」

ひとつ前のエントリへのおいらさんのコメントより

>  もどって俺は、ここがちょっと面白くて、

> >その意味で、贖罪の理論は、「排除」を通して「昼」もしくは「公」・「秩序」の側を維持・延命する方法論に他なりません。

>  グレーゾーンから昼、公、秩序へ、という話だよねぇ。
>  じゃあさぁ、逆のなんか面白い話ってないのかなぁ?(笑)
>  グレーゾーンから「夜」「私」「混沌」の側を維持・延命する方法論(笑)。
>  まあ、あるんだろうけどね。
>  いや別に調べるのが面倒で言ってるんじゃないんだよ(笑)。君の学んだ知識の整理を手伝ってあげようとする親心なんだよ(*゜▽゜)ノ

いやいや、よーきいてくれました。まさにそこが問題なんですわ。

それがさぁ、「夜」「私」「混沌」の側って基本的にメンテナンスフリーなもんらしいのよ。
ていうか、実はこの「昼」と「夜」の対立構造は、いわば「文化・文明」と「自然・野生」って言ってもいいわけなんですよ。

で、自然(野生)そのものはどこまでいっても本来メンテナンスフリーっていうか、自律的っていうか、そもそも人間が考えるような意味での制御とか管理とかとは無縁なものなんですね。

山口昌男は「文化の詩学II」(岩波1983)の中で、J.クリステヴァの「中国の女たち」を取り上げて、クリステヴァのいう「象徴作用」ー「原記号作用」という表現を、むしろ「タナトス」ー「エロス」、「制度的なもの」ー「自生的なもの」、「固定化した記号」ー「発生期にある記号」と言い換えることができるだろう、と言っています。(山口昌男「文化の詩学II」岩波学術文庫2002(初出:岩波1983)pp.83-84)
そして、多分この対比構造は「文化・秩序」ー「野生・混沌」の関係についての言い換えであると言って構わないと思います。
つまり、混沌」と「創造のポテンシャル」っていうのは、ほとんど同語反復みたいなもんなわけですよ。
だから「夜」「私」「混沌」の側っていうのは、基本的に維持・延命のための何の方法論もいらないのです。

誤解を恐れずに敢えて言うと、宮崎駿の「もののけ姫」に出てくる、頭が無くなって暴走するデイダラボッチ(だったっけ?あのシシガミさまから夜になると変身する青いやつ)のイメージですよ。
「夜」「私」「混沌」っていうのは、神話的構造の根源的要素だから、寓話的な傾向が強い芸術作品に類似のモチーフを見つけ出すのはそんなに難しくないと思います。

もちろん人間社会には「自然保護」という概念もあるわけですが(他にも似たようなのに「環境保護」とかあるけど)、そこで言ってる「自然(環境)」って、よく考えると、実はあくまでも「自分達の文化の要素の一部分としての自然(環境)」でしかないんですよ。で、言ってみれば、それは「資源の供給場所」としての役割としての「自然(環境)」なんですわ。
というのも、結局、人間が自然・野生を保護しないといけないと考えるのは、自覚しているいないにかかわらず、実際問題として人間の文化・文明はそれに依存しないでは存在し得ないからなわけです。
その意味では、所詮「自然保護」というのも、結局は文明の資源供給を絶やさないための管理上の方法論であって、いかに文化・文明が、自然・野生の資源を、それが文明の内部を浸食しないようにしつつ、えーかんじでコントロールしつつ取り込むか、ということが一番の問題なんですな。

たとえば本来「自然保護」という目的を最大限実現させるための最善の方法は、文化・文明の活動が停止・崩壊することなわけじゃないですか。
でも、いくら自然保護が大事だからっていってもそれを言っちゃったら、そもそも「保護する」主体としての文化・文明がなくなっちゃうわけで、それじゃあ意味が無いというか、それは文化・文明の基礎としての人間の自己保存欲求に反してしまう。
だからいくら「自然保護」って言っても、自然・野生が主体になって猛威を奮いまくって、人間の文化・文明を蹂躙してもらったら困るわけで、あくまでも主体は「文化・文明」で、「自然・野生」は管理の客体の立場に留まってもらわないとまずいわけですよ。

で、そのための「グレーゾーン」なわけですよ。
つまり「夜」「私」「混沌」「自然」「野生」の側にとっては、別に「グレーゾーン」は要らないわけで、「グレーゾーン」が必要なのは、「昼」「公」「秩序」「文化」「文明」の方だけなんですよ。
敢えて言い換えると、自分たちの世界を昼と見るから、夜と昼の区別がいるだけなわけで、つまり区別が必要なのは、「昼」の側だけで、別に「夜」の側にとってはそもそも区別はどうでもいいんですよ。
つまり対立構造そのものが、夜の側には存在しないというか、全然必要無いんですよ。

ただ、物語とか文学とか演劇・音楽・絵画などなどの芸術の領域では、昼の側と夜の側の対立を、(もちろん本来語り手・作り手は昼の側にいるわけですが)あたかも夜の側の立場から昼の側を区別して見ているかのような表現をとることで、文学的緊張を高めると言う効果を生み出すことがあります。

この説話・物語に見る「文化=秩序」と「自然=反秩序」の対立構造っていうのは、山口昌男は「文化と両義性」(1975)、第1章「古風土記における「文化」と「自然」」の中で、主に「古風土記」について取り上げますが、対比的に記紀文学についても触れて、「日本書紀」の中の景行天皇四十年紀に日本武尊に蝦夷征討を命じる詔の中の記述を分析して、以下のように図式化しています。

Figur_yamaguchi1975_s13
この表では、パラダイム的対立に還元される対立項も想定した。このうち正の項が当然古代社会の秩序感覚の中で今日我々のいう「文化」の側に分類されるものであることはいうまでもない。負の項は「反秩序」「自然」の側に分類されるものであり、次のような、より抽象度の高い項のメタファー的表現である。
(I) 抑制の欠如(a-)
(II) 差異性の欠如 (b-・c-・f-)
(III) 交換、ルールの拒否 (e-・k-・l-・m-・n-・o-)
(IV) 反文化性=自然性(d-・g-・h-・i-・j-)
つまり差異性に基づく秩序の拒否が、土蜘蛛、夷に与えられた規定であるといえる。しかしながら、この一つ一つの項を検討してみると、そのほとんどは「荒ぶる神」に移行できるものであることは明らかである。そればかりでなく、征伐の主人公と荒ぶる神の司祭が、両者の仲介者として、対立項の双方の属性を兼ね備えていることを我々はすでに確かめてきた。たとえば日本武尊や素戔嗚尊はほとんどこの四つの属性を備えているといってよい。したがって我々は、説話および儀礼は、本質的に「仲介」的機能を持っていることを知る。
 ただここで注目すべきは、肯定的主人公の属する側の諸項の根源が、「差異性」の強調にあるとしたら、「荒ぶる神」もそうした分類的な思考の産物であるという点である。
(以上、山口昌男「文化と両義性」岩波学術文庫2000(初出:岩波1975)、pp.13-14.)

だから実は、そもそも「昼」と「夜」を区別するっていう発想そのものが、極めて「昼の側」に特有の発想なんです。
ていうか、そもそも「昼」と「夜」っていう区別自体が「昼」の側が勝手に「自分たちのいる側が昼だ」って言ってるだけで、そもそも夜の側では、そっちが「夜」だなんて、これっぽっちも思ってないっていうか、そんな区別が意味ないっていうか、だいたいが、そういう「区別」をつけられないから「夜」なんだから、あたりまえです。
そうすると、グレーゾーンが、グレーゾーンたり得、しかもその存在が不可欠になるのは、昼の側から見た場合だけなんですわ。
つまり、昼の側の立場から、夜の側の視点を借りて昼の側に接近させ、なおかつ夜を昼の下位に位置づける物語を作り出すことで、夜の側から昼の側に「資源」を供給できるパイプラインとしての「グレーゾーン」を作りだすわけです。

というわけで、僕の問題提起としては、「グレーゾーンから「夜」「私」「混沌」の側を維持・延命する方法論は?」というよりは、「「いわゆる夜」の側からグレーゾーンを通して「いわゆる昼」の側を見つつ、なおかつ「いわゆる夜」を「いわゆる昼」の下位に位置づけないでいられるとしたら、「いわゆる昼」の側はどんな風に見えるか。また、「いわゆる夜」の側はどういう自己理解を持ち得るか」という、何言ってんだか自分でもよくわかんないような、そういうことなんですわ。

一応、目下の落とし所としては、この「いわゆる昼」の側の、区別(=差異性)の基準となっているのは、たぶん「時間的秩序」、つまり原因と結果の関連を時間的な秩序の中で位置づけるということだろうと。
つまり夜が夜であるのは、また混沌が混沌であるのは、原因と結果の結びつきが一直線かつ一方向でなければならないという前提が無いからではないかということをJ,クリステヴァから引っ張ってきたいな、と思っています。
まぁそんな今更流行らないポストモダン的な感じの結論でお茶を濁そうかと。

もの凄く長くなって、しかもほとんど意味不明になってしまったのでとりあえず以上。
(この項続くかどうか不明)

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2007.11.04

閉塞感と不寛容の時代に

リンク: 「公私混同」原論 (「公私混同」原論):NBonline(日経ビジネス オンライン).

上記リンク先には、11/3現在で第2回までが掲載されています。

第1回「屁尾下郎」氏のツッコミが世の中を詰まらせる 」は見過ごしていたのですが、第2回のタイトル「ご機嫌な人を見ると、不機嫌になる社会」に惹かれてつい読んでしまいました。

社会格差に関する糸井氏の発言に対しては、?と思うところもありましたが、全般として上手いこと言い表してるな〜と思わされました。

特に、

糸井 じゃあ、規制が厳しくなって、結局誰の仕事が増えているか。というと「これは大丈夫です」「これはダメです」「これは耐震構造 的に法的にオーケーです」「オッケーじゃありません」といったことを調査して報告するひとたちですよね。それって結局、官僚の仕事であり、弁護士の仕事 じゃないですか。

—— まさに管理する人の仕事だけが増えたんですね。

糸井 そこで問題なのは、「仕事は増えているけれど、何も生んでいないし、消費されていない」ということなんですよ。

—— ええっ? どういうことですか?


■消費のアイデアが見つからない

糸井 つまり、見回りみたいな「管理」の仕事を増やしても、何も生み出さないし、誰も消費をしないじゃないですか。ただ、たしかにこうした官僚的な仕事、官僚的なコストを増やしていくと、ノーアイデアでいろいろ回るんです。

(連載第1回「屁尾下郎」氏のツッコミが世の中を詰まらせる2007年10月26日より)

また、

糸井 そうならないためには、まず「ルール」ってものをもう少し柔軟に考えるのがいいんじゃないかな。具体的には「ルール」をつけた り消したり、点滅させるって考え方が必要だと思うんです。それがぼくの言うところの「公私混同」のコンセプトなんですよ。ルールは、できるだけ腰を低くし て適用しましょう。場合によっては、ルールなし、消しちゃうときだってありですね、と。

—— そもそも「ルール」って、できるだけ多くの人がご機嫌でいられるための「最低限の決まり事」のはず、ですもんね。それがいつの間にか、ルールを破ったやつをこらしめるのが目的になっている……。

糸井 もちろんルールは大事なんですよ、絶対。けれども、ルールはあとからできたものですし、ある意味でバーチャルなものなんだか ら、現実に適用するときは濃くしたり薄くしたりしてもいいんじゃないでしょうか。「公」「私」の間は白と黒じゃなくて、グラデーションじゃないでしょう か。きっちりふたつに分けることなんかできない。

 というわけで、公私混同、なんです。

連載第2回ご機嫌な人を見ると、不機嫌になる社会、2007年11月2日より)


という指摘はとても興味深いと思いました。

「白黒つける」ということは、僕の田んぼに水を引き入れて言い換えるならば、「倫理の聖域の内側と外側とをきっちりわける」ということなわけですよ。

で、そういう振る舞いは、特にその社会集団がある種の閉塞感に囚われている時にはものすごく必要に思えたり魅力的に見えたりするわけですが、その実は何の生産性もないという例を、この記事は示しているように思いました。

もう一つ、下記のくだりもとても面白いと思いました。

—— ただ、今日のお話をおうかがいすると、一方で、ネガティブな意味での公私混同も出てきてますね。先ほど糸井さんが言っていたように「頼まれもしないのに、みんなが警察官になる」というのも、一種の公私混同ですよね。いや、私公混同か。


糸井 そう。不思議ですけれど「私」から「公」にいっちゃっう人々が、いま世の中にあふれているんですよ。


—— ほっておいたら「何も生まれないから、管理と見回りで消費を回す」ことになっていく。


糸井 「管理」がどんどん偉くなる時代に、どう機嫌良く生きていこうかなあ、というのがぼくのテーマです。

(連載第1回「屁尾下郎」氏のツッコミが世の中を詰まらせる、2007年10月26日より

ざくっと言えば、糸井氏は、「公」と「私」の領域が混同されるところには生産性・創造性を見ているわけですが、同時にその一方で、「私」から「公」へという方向性を持った混同に対しては、それを見出すことができない、と言うことだと思います。

で、この「私」から「公」へという方向性、みんなが「警察官」になりたがるような方向性、これってなんなんだろう?社会に閉塞感があるからそうなるの?それとも、そうなるから社会に閉塞感が増していくの?それとも、この二つがスパイラルに繰り返されて、どんどん傾向が強化されていくんだろうか、ということを考えさせられたのでした。

全くの手前味噌なんですが、こういう状況って、本当に人類の歴史の中では繰り返し出てくるわけですが、1世紀後半パレスチナにおけるイエスならびにそれに続くイエス運動って、まさにこういう閉塞感のスパイラルが進行する社会の中で、敢えてグレーゾーンに留まりつづけることでその創造性を発揮したと言えるんじゃないかと思うんですね。

「公」と「私」をどうやって分けるか、あるいはその判断基準は何か、ということは極めてその社会集団が属する文化的価値に依存するので、一概には言えません。ある文化にとっては「私」と見なされる事柄が、別の文化では「公」と判断されることはままあります(その逆もまた当然よくあります)。
しかし、「そういう二つの領域がある」というのは、概ねどの時代・どの文化にも当てはまると言ってよいと思われます。

そして、この「公」と「私」という二つの領域の境界は、本来デジタルなものではなく、アナログな変化としてのグレーゾーンになることは、前にも触れた山口昌男の「文化と両義性」(1975)や「文化の詩学II」(1983)でも取り上げられているわけで、言ってみれば、昼と夜の境界は、デジタルに言えば、日の出・日の入ですが、実際の生活においては、アナログ的に変化するグレーゾーン、すなわち薄暮・薄明の時が必ずそこにはあるわけですよ。
でも、このグレーゾーンというのが曲者で、一般にはこのグレーゾーンは「禁忌(タブー)」の領域とされていて、その領域に触れた場合、その後で「昼の側」に戻ってくるためには、特定の祭儀的手順を経なければならないとする文化がほとんどなのです。
たとえば身近な所では、「葬式から帰ったら塩を撒く」から始まって、「規定に違反したら処罰を受ける」とか「法を犯したら刑を受ける」とか、「みんなの前で謝罪する」とか、考えようによっては「トイレの後は手を洗う」とかも良い例です。

でも山口は、実は同時に、このいわば昼と夜(あるいは公と私、秩序と混沌)が混じり合うグレーゾーンとしての禁忌(タブー)の領域は、非常に創造的ポテンシャルの高い領域でもあることを、V.ターナー、E.リーチ、M.ダグラスといった文化人類学者の論考を中心に取り上げながら、繰り返し指摘しているんですね。

でもって、閉塞した状態を打破することの出来るイノヴェーションは、ほとんどと言って良いほど、このグレーゾーンから生まれてくる。というか、「昼」もしくは「公」、「秩序」の部分からは出てこないんですよ。
もちろん同時に、それは時として「昼」「公」「秩序」の側を破壊する危険性すらあるぐらいのポテンシャルを有しているわけで、だからこそ古来より「公」の側は、適当にえーかんじでそのポテンシャルをおいしいとこだけ取り入れるために、祭儀的手続きを課することでコントロールしようとしてきたわけですね。

だから逆に、そういうシステムがいつのまにか制度疲労を起こして、充分に機能しなくなってくると、グレーゾーンをこれまで以上に徹底的に管理しつくすことで、つまり徹底的にグレーゾーンに対して不寛容になることで、もういちど創造的ポテンシャルを獲得したいという欲求がふつふつとこみ上げてくるのではないかと思います。

ある社会集団において、倫理もしくは規定の境界が厳しく問われるということ、つまりの白と黒、昼と夜、あるいは公と私、秩序と混沌の境界線を、厳密に不寛容に規定し適用したいという強い欲求が生じるということ、それはその社会集団を囚えている閉塞感が日々増していることの現れと言えるのかも知れません。

古来より、そういう欲求を満たすために、ある特定の存在に禁忌の持つ負の側面すなわち「罪科」を全て負わせて集団から排除する、いわゆるスケープゴート(贖罪の山羊)というものが生み出されてきました。
その意味で、贖罪の理論は、「排除」を通して「昼」もしくは「公」・「秩序」の側を維持・延命する方法論に他なりません。
実のところ、贖罪というものを巡る行為は、その社会集団の不寛容・閉塞感と、密接かつ裏腹な関係を有しているのです。

人類の「贖罪」のために十字架において死せられたイエスは、しかし、その地上の歩みはまるで「公」とは縁のないものでした。むしろイエスの地上の歩みにおいて、もっとも「公」に近づいた瞬間こそが十字架刑に他ならなかったという、この矛盾。
そして週の初めの日の薄明の時に起こった、生と死の境界を曖昧にする「復活」という「混沌とした」出来事。

イエスの死は、またその復活は誰のためなのか。
あるいは遡って、その死に至るまでの地上の歩みは何だったのか。

いや〜むずかしーなー。勉強しよう。精進精進。

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2007.10.26

「排除の論理」としての倫理

昨今の日本の話題をネタに、以下煮詰まった研究の憂さを吐き出し。
ていうかこれじゃぁ小間物屋を開くみたいなもんですな…いやいや精進々々。
そういうわけで以下、小間物ご開陳。

先日、日本からのお土産に「週刊朝日」2007年10月26日号と「週刊新潮」2007年10月18日号をいただく。
日本にいる間、学生時代は「朝ジャー」、その後は「AERA」なんかは、そこそこ買うこともあったが、週刊朝日とか週刊新潮といったいわゆる「週刊誌」は病院や銀行のロビーで順番待ちの間に読むものでしかなかったので、自分がこんなに熱心に週刊誌を読むようになるとは思わなかった。
昨今ネット経由で情報そのものは簡単に入手出来ますが、「印刷物を読む」というのは、ネット経由での情報収集とはまた違った味わいがありますね。
要するにまぁえーおっさんになってきたということですな…。

で、その週刊朝日「巻頭」に昨今の相撲協会に対する「"土俵際" 大相撲は変われるのか」と題する「ご意見」寄稿があった。
週刊新潮にも、巻頭では無かったが2番目に「時津風『逮捕』と朝青龍『来日』どちらがひどいダメージか」と題する記事が載っていた。
それを見て、日本で今こういうことが話題になっているのか…と思いながら、中身を読んだ。

ちなみに、僕は大相撲は「そこそこ」好きな方で、日本にいるときも、中継を欠かさず見るということはないが、そこそこ話題にはするといったところでしょうか。
学生時代には一度国技館の枡席に連れて行ってもらったこともありました(座布団は投げなかったけど)。
まぁゴルフやテニスよりは、試合結果が気になる。
野球やサッカーやラグビーぐらいには、気になる。
でもiPhoneが日本で発売になるかどうかということよりは気にならない。
そんな程度です。

だからそんな、昨今の大相撲について一家言物すような気は全然ないし、そもそも正直なところ、僕はネット経由の情報しか、昨今の相撲協会については知らない。
相撲部屋で死者が出たということ、その原因に暴行とシゴキがあったらしい、ということは情報として知っている。
また、それ以前に横綱がモンゴルに帰郷したという話も、情報としては知っている。

しかし僕は日本で放映されている、ワイドショウも電車の中吊り広告もバラエティ番組もニュース番組も基本的に見ていない。(Podcastingされているニュースはいくつか見てるけど。)だからいわゆる日本の「世間の空気」との間に温度差がある(と思う)。

で、そういう目から見ると、週刊新潮の記事について何がそれほどニュースバリューがあるのか、さっぱりわからなかった。
週刊朝日の記事も特にその冒頭の「協会よ、守るべきものは断固守れ」と題された寄稿は何が言いたいのかさっぱりわからなかった。
というか、この方の「ご意見」の背後に潜む「倫理観」とも言うべきものに背筋が寒くなる思いがした。
以下にそのご意見の主要部分と言えるのではないかと思われる箇所を一部引用。

 …何しろ、朝青龍の野卑で下品な行動の数々は、日本をなめ、日本人をなめ、国技をなめたとしてか考えられない以上、文科省も思うところがあったはずだ。
 横審で、私は朝青龍への「引退勧告」を強硬に主張した。同意の意見も複数いたが、「総意」としては案の定「見守る」に落ちついた。このていたらく、これではなめられるわけだと、私は怒りを通り越して情けなかった。
 おそらく文科省は、時津風邪部屋事件と二つを鑑みて、協会も横審も何ら機能していないと思ったのだろう。本来、お上の介入など言語道断だが、「国技」とされる大相撲であり、公益法人であり、あげく協会も横審も甘いとなれば、「指導」は致し方ない。
 協会はこれらの事件に関する数多の意見を真摯に受け止めた上で、再発防止と自分たちが本来あるべき姿を霊性に考える必要がある。「伝統」という名のもと、理不尽なことが行われていなかったか。前時代的な暗部はなかったか。厳しい上下関係が、弱い者いじめや物を言えない環境に変質していなかった。すべてを洗い出し、何ゆえ「国技」として君臨していられるのかを、徹底的に検証する必要がある。その意味では、文科省が要望するように検討委員会に外部の「有識者」という方々を入れることに賛成だ。
 ただし、まずは協会が独自に洗い出し、検証し、大相撲の、
「何を保守し、何を改革するか」
 を揺るぎなく持ってから臨むべきである。「守るべきものは断固守る」という鉄の志は不可欠。」
 私は殺人につながる体質や旧弊を残せと言っているのではない。大相撲を国技として恥ずかしくないものにするためには、何が「正の伝統」で何が「負の伝統」かを見極め、協会内のコンセンサスをとってから検討委員会に臨めということだ。

(「"土俵際" 大相撲は変われるのか」週刊朝日2007年10月26日号(第112巻第53号通巻4845号)朝日新聞社、pp.18-24より内舘牧子「協会よ、守るべきものは断固守れ」pp.19-20)

稽古中の力士の死亡については、原因の究明と再発防止のための対策が必要であることは、もちろん言うまでもない。
しかしこの寄稿で問題となっているのは、もうちょっと違うことのような気がする。
むしろ、そこでは「国技としての伝統」とか「国技として恥ずかしくない」こととかがより重要な事柄として取り上げられているような気がする。
そして、この人が考える「伝統」とか「誇り」と言うものは、ただとにかくそれは「なめられたり」してはならないもの、僕なりに言い換えると、侵犯されてはならない、守るべき倫理としてここでは扱われているということは読んでわかった。
だから、それらを侵犯しようとするものに対しては、ある種の(潔癖症とも言えるほどの)激烈さをもって排除するべきだということのようである。

でも、その「伝統」とか「誇り」というものの中身が何なのかが僕にはよくわからない。

とりあえずこの方が相撲が大変好きなのは理解出来た。
そのことは理解できたのだが、それにしても、この方はまるで、自分は倫理と伝統と規範の内側、いわば清浄な安全地帯にいて、その聖性を侵すモノに対して、それを断罪する権威を与える正義の鉄槌だか剣だかをその手中に収めているような印象をうけるのだが、それがどういう根拠というかどういう立場でそういうことが言いうるのかがどうしても理解出来ない。
横審の委員というのはそういうものなのか?とも思ったが、僕のような毛色の違う人間にはどうしても、それは一委員としての見解とか言うことを超えて、「伝統とは、誇りとは、かくあるものだ」ということを絶対的に裁定しうる立場に立っておられるかのごとく見えてしまう。
それぐらい権威的な印象を受けるのだが、そうである一方で、その「伝統」とか「誇り」の中身と根拠は一向によくわからない。
いや、僕が分からないだけで、分かる人にとては、そんなことは言わなくても分かることなのかも知れない。
ひょっとすると、それはいわゆる「世間の常識」というものなのかもしれない。
多分この方はそういう「世間の常識」を前提として物しておられるのでしょう。

この「世間の常識」というものに考えが至るにあたって、僕は何だか、陰鬱な思いに囚われてしまった。
そして北朝鮮バッシングとか、中国産食品騒動とかを連想してしまった(といっても、それもネット経由の情報収集でしかないのだけど)。
そこには、いわば次のような感じのリアクションが共通しているように思われてしまったからだ。

  • とにかく自分(達)の清浄な聖域に穢れたものが混ざり込むことが許せない。
  • 自分(達)の清浄なる伝統、清浄なる信念、清浄なる秩序によって支配された清浄なる生活空間、清浄なる親族、清浄なる仲間、清浄なる思い出が、汚穢なるものによって、侮蔑され、貶められ、穢れることが許せない。
  • とにかく、自分(達)が正しいと考える秩序と倫理にそぐわないものが、自分(達)の生活空間に入り込んでいることが、我慢出来ない。
  • それはまるで、ばい菌かウイルスの侵入のように、「健康な」自分(達)を蝕んでいるように思われる。
  • それはつまり、自分(達)とその聖なる生活世界の調子がベストな状態でない(というか悪い)のも、理想的な結果が得られないのも、充分な評価が得られないのも、理由無く苦しい思いをしなければならないのも、言われ無き非難を受けるのも、すべてこの汚穢が清浄なる生活世界を浸食しているせいのように思われる。
  • でもその聖域が本当に清浄であるのか、汚穢と思ってるものは本当に穢れているのか、その根拠は何なのか、そういうったことは全然明らかでない。
  • そもそもなんで自分(達)は「清浄なる側」だと言えるのか、ということも明らかでない、というか同語反復みたいなもんで、自分(達)がいる方が「清浄」であることを信じて疑わないというか、そうでないと困るからそういうことにしている。
  • 実際のところ、自分(達)が清浄であることの明確な根拠なんて見い出せないわけだが、それを認めると不安定感が増し「清浄である私(達)」という自己同一性を保てなくなる危険があるため、とにかく何かを「穢れ」として攻撃・排除することによって、自分(達)の清浄さを補完しようとする。
  • つまり実は、「穢れているから排除する」のではなくて、「何かを穢れたものとして排除することによって、私(達)という存在を保持している」。

…って、これは、いわゆる強迫神経症の症状に良く似ているわけですが、まぁ実際の所、強弱こそあれ誰でも似たような傾向はあるでしょう。
それが「時として攻撃性を伴う清浄さへの『過度の』欲求」として個人に発現するとそういうのはいわゆる「心の病気」と見なされることとなる(と思う。素人の理解だけど)。

そしてさらに、これは個人の場合だけでは無くて、同じことは社会集団の場合も言えると思う。
社会集団における場合はいわゆる「世間の空気」とか「世間の常識」として、そうした清浄さへの欲求は定着し・蓄積されていくことになる(と思う)。
もちろん、どんな社会・文化でも、大なり小なり似たような「清浄ー汚穢」の対立概念と排除構造を有しているわけで、その意味では、社会の自己同一性を維持する機能として、まぁほどほどに働いている分には、無下に否定したりは出来ない。
実際には、通常、社会集団の場合は自然に平衡機能が働いて、欲求が「過度に」増大しないように揺れ戻しが起こるのが普通だろう。

でも、そうならない場合もある。
そもそも社会不安が大きい場合、平衡機能は働かず、「攻撃性を伴う清浄さへの『過度の』欲求」すなわち排外主義的全体主義は一気に加速する。
言わずと知れたナチズムはその典型であろう。
ナチズム下のドイツ社会は、自分たちが清浄であることを揺るぎないものとするため、自分(達)が「非倫理的」と見なした存在を攻撃・排除・抹殺しようとした。
すなわちそこでの彼らの自己理解は、攻撃・排除・抹殺はあくまでも倫理を守るための戦いであった。
しかし、それが明らかに極端な行き過ぎであり、別の視点における倫理基準を著しく侵犯していると感じるのは、私だけではないだろう。
もちろんナチズムに限らず、これに類する事象は、広く古今東西において目にすることが出来るだろう。大東亜共栄圏だって似たようなものだと言えるのではないのか。状況はかならずしも同じとは言えないが、アメリカの主導する『対テロ戦争』もなんか似たような臭いがする。

山口昌男は、汚染する侵犯者としての「弱者・少数者」が個人と社会集団のアイデンティティの確立のために負っている役割について、心理学者ストーを引用しつつ、次のように指摘する。

 …過去の恥辱とは、個人のアイデンティティを脅かす外在的脅威のようなものである。個人は、こうした脅威と自らのアイデンティティの関係を明確にしなければならない。アイデンティティの確立のために脅威は必要であるが、脅威そのものは視角的に外在化させなければならない。弱者はこの場合、格好の餌になる。こうした現象をストーは<妄想的投射>と呼び、次のような説明を加える。

 妄想的的投射の受容者となり、敵意と軽蔑の念をもって取り扱われる小集団を、多くの文化が保ち続けるということ、そしてたぶんそれらを必要とするということもまた明らかなことである。インドの不可触民…は、汚れて汚染の危険ありと考えられた人間集団の例である(アンソニー・ストー著、高橋哲郎訳『人間の攻撃心』晶文社1973年147頁)

 ここで問題になっているのは、弱者・少数者が必ずしも文字通りの弱者と考えられない点である。ストーは「いけにえとなる少数者が現実には弱いのに、潜在的に強力だとみなされる矛盾」を<不寛容>ということばによって説明している。たしかに、そうした側面は否定できない。だが、同時に「弱者」は多くの場合、潜在的挑発性を、本人が意識するとしないとにかかわらず備えている。<不寛容>による攻撃とは、そうした挑発性に対する痙攣にも似た反応であると言える。ただしストーは、少し後に「贖罪の山羊(スケープゴート)は強さと弱さを同時に体現している。われわれは第一の属性を彼らに投射し、第二の特質に同一化する。勝利者と敗北者はこのようにして他の動物にみられる、支配をめぐる攻撃闘争の程度をはるかに越えた、相互憎悪の紐帯によって結びつけられるようになる」と述べている。
 「強さ」というのは、「挑発力」に裏打ちされた他者の像(負の理想像)なのである。この「挑発」する力とは、宗教学が<ヌーメン>ということばを使って説明してきたものにほかならない。

(以上、山口昌男「文化の詩学II」岩波現代文庫、2002年、「スケープゴートの詩学へ」、pp.57-58。但しストーからの引用箇所の引用元情報については補足した。)

通常、ある日常的な生活世界の中では、その世界が有する「倫理」というのは揺るぎない根拠を持つ、盤石たる存在であるように思われる。

しかし実はそれは極めて脆いものでしかなく、その保持のためには、常に排除の論理を駆使し続けなければならない。
そして、排除は時として暴力を伴う。

バーガー/ラックマンは、その主要な概念である象徴的宇宙についての説明の中で、日常的な生活世界が排除の論理によって成り立っていることについて次のように指摘している。

 象徴的宇宙は、生育歴的経験の主観的理解に対して秩序を供給する。異なる現実の諸領域に属する諸経験は、同一の、すべてを包含する意味の宇宙における組織合同によって、統合されている。例えば、象徴的宇宙は夢の意味内容(significance)を日常生活の現実の内部において決定し、その結果、それぞれの事例において、後者[=日常生活の現実]の卓越した地位を再確立し、ある現実から別の現実への移行に伴うショックを和らげる。そうでもなければ日常生活の現実の内部の飛び地領土を理解不能なままにしたであろう意味の領域が、それゆえに、現実のヒエラルキーの見地から秩序付けられ、そのこと自体によって、理解可能なものとなり、恐るべきものではなくなる。卓越した日常生活の現実の内部における、この周縁的状況の現実の統合は極めて重要である。なぜならば、これらの状況は、社会において当然のものと考えられ慣例化された存在に対する深刻な脅威を構成するからである。もし誰かが後者を人間生活の「日の当たる側」と見なすならば、周縁的状況は、日常の意識の周縁に不吉に潜み続ける「夜の側」を構成している。ただ、「夜の側」が、しばしば邪悪な類に十分な、それ自身の現実を有するので、それは、社会において当然のものと考えられた、実際のところの、「健全な」現実に対する恒常的な脅威なのである。以下のような思考(飛び抜けて「不健全な」思考)が心に浮かび続ける。おそらく、日常生活の明るい現実はただの幻想であり、あらゆる瞬間にでも、他者すなわち夜の側の現実のたけり狂う悪夢によって飲み込まれてしまうべきものである、という思考である。そのような狂気と恐怖の思考は、日常生活の現実を取り囲んでいる同じ象徴的宇宙の内部において全て想像可能な現実を秩序付けることによって抑制される。すなわち、後者[想像可能な現実]の現実が、その卓越した、決定的な(もし誰かが望むならば、その最も現実的な)質を保持するところのそうしたやり方によって、それらを秩序付ける。

(BERGER, Peter L. – LUCKMANN, Thomas, The Social Construction of Reality: A Treatise in the Sociology of Knowledge, Middlesex 1967; urspr. ersch. Graden City (N.Y.) 1966; Neudr. als Penguin University Books Middlesex 1971, 115-116. 翻訳は引用者による。)


身体訓練と精神的成長を並行して促すことと、精神論で暴力を正当化することは全く違うことなのだから、稽古の名の下で暴行が行われることは言語同断である。
ましてや死者が出るのは大問題だから、事件なのか事故なのか、調査と原因究明が必要なのはもちろん当然である。
が、個人的にはそんなのとっくの昔に問題になっとうだろうに何を今更、と思わないでもない。

そもそも、かつて日本では「皇軍」「臣民」として恥ずかしくないものを作り上げるという「倫理」に基づく訓練・教練が実施されるようになって以来、「規律と伝統を守る」という精神論で暴力(威力)は正当化されてきたのではなかったのか。
戦後となってからすらも形を変えて、あらゆるところに、そうした「倫理」と「伝統」と「規律」の名の下に、暴力(威力)の正当化が身を潜めてきていたのではなかったのか…。

人が倫理を標榜するとき、それはいとも簡単に攻撃と排除を正当化し、そのための暴力(威力)を必要とみなす根拠となる。

自分(達)は、清浄なる聖域を有しているのだから、それを汚穢をもって侵犯するものに対して、倫理に従って訴え、裁き、暴力(威力)をもって排除することが赦されているという言説は、稽古の名の下の暴行を精神論で正当化することと何ら変わらない。

SNSでの知人の日記で下記の記事を知った。
これも治安維持の倫理のゆえに正当化される暴力(威力)だというのだろうか。

「「取り押さえ急死なぜ?」授産施設協が県警に質問状」10/20佐賀新聞

ところで…

ここで話はいささか飛躍するのだが、僕の研究対象のルカの旅行記をあらためて「世間の常識」を持って読み返すと、イエスはおよそ一貫して「非倫理的」もしくは「非論理的」である。
え〜それじゃ割にあわないよ〜、とか(例:15章の失われたもののたとえのシリーズなど)、それってどうよ?てな感じの話(例:16章「不正な管理人」のたとえ、など)、世間一般の基準に反することばっかりである。
すくなくともここで描かれているイエス像は、おそらく当時においてすら生活世界の聖域を侵犯しまくりであると思われる。

おそらく、イエスとその運動の担い手らは、当時も「世間」からは、倫理に悖ると訴えられ、共同体からは排除され、同業者(洗礼者ヨハネ)からすらも「?」てな目で見られたりしたのであろう。

おそらくしかし、そのイエスが、そしてその運動の担い手達が示したもの、それは倫理も聖域も、そんなもんが価値を持ち得ない領域、世間を形成する尺度が無効になってしまうような領域、すなわち「神の国」であったのではないのか。

おそらく、結果的にその主張内容が、世間から、つまり既存の倫理と聖域を有する側から、自分たちとは相容れないと見なされたものの、イエスとその運動の担い手達は決して直接的・積極的に既存の倫理を否定しようとする意図ははなかったのではないか。

おそらく、その神の国についての使信は世間には受け容れられなかったが、世間からは排除されたもの、世間から孤立させられていたものたちによって受け容れられたのではないか。

おそらく、彼らの示した神の国とは、倫理とそれによって守られた聖域からは見ることが出来ないものなのではないか。

おそらく、聖域をその中心に有しているところの世間からは、非倫理的と罵られ、交わりから閉め出されたものたちだけが、それを見ることが出来るのではないか。

おそらく、それは歴史によって記述することが出来ないもの、つまり歴史の舞台を照らすスポットライトが決して届き得ないところにしか存在し得ないもの、いわば歴史の影、歴史の陰画(ネガ)、いわゆる反・歴史として以外には示すことが出来でなのではないか。

しかしおそらく、第三福音書の著者は、歴史を用いることなくそれを伝えることは不可能であることを熟知しており、またそうである以上、結局の所やはり歴史を媒体として間接的にそれについて語ろうとしたのではないか。つまり舞台の上立つイエスにスポットライトを当てて物語を語りつつも、その舞台上のイエスが指さす先は、むしろそのスポットが決して照らすことのない場所であること、つまり固唾を呑んでその舞台を見つめている者たち、つまり世間から穢れたもの、非倫理的な存在として閉め出された者達の中であること、そしてそうした人々の間こそが、イエス自身の場所であり、イエスが神の国を示した場所であることを示したのではないか。

そしておそらく、たとえ間接的にであれそこで示される反・歴史の属する「時」は、「無時間的な時」なのではないか。それは、既存の権威によって秩序付けられた時間、すなわち倫理によって枠付けされ意味を与えられる時間の中には留まることができないのではないか。むしろこの「無時間的な時」は、倫理の枠付けを無効化し、秩序を与える既存の権威を根底から揺るがすものなのではないか。それでいて同時に、この「無時間的な時」というのは希望と歓喜の源泉、創造的ポテンシャルに充ち満ちたものなのではないか。いわば無時間的な時とは、汚穢の実体であると同時に、聖性の根源なのではないのか。

だからおそらく
、ルカにおいては、イエスとその運動の担い手達が伝えた神の国と、原始教会にとってのイエスのパルーシア(臨在)とが、この無時間的な時のうちに反・歴史として描かれているのではないか。しかも、無時間的な時において、反・歴史として捉えられている以上、神の国とイエスのパルーシアとの時系列的・論理的な関係(これらの関係は時として「倫理的」として捉えられることすらある)はあまり重要ではなかったのではないか。むしろ共時的・範列的関係(これらの関係は時として「祝祭的」として捉えられる)の方が決定的だったのではないか…

…とまぁ、この「おそらく」群(特に最後の項目)というのが一応、目指している結論なんですが、妻からは「んーおもしろいけど、一歩間違うと妄想と紙一重?」と言われてしまいました。がーん。

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2007.10.19

ヤムニア宗教会議 Council of Jamnia

研究も煮詰まってるので、ぼやきを少し・・・。

「ヤムニア宗教会議」といえば、ふた昔ぐらいまでは、「西暦90年にヤムニアでラビ・エレアザル・ベン・アザリアの指導の下で行われ、正典としてのマソラ本文の確定と、キリスト教徒の会堂からの排除並びに一八祈祷文に異端者(=キリスト者)への呪詛を付加した」というようなことが歴史的事実のように語られていたような気がする。
僕が神学校にいた90年代後半も、教会史の枠組みとして、まぁそんな感じのことが言われていた気がする。でも、良く思いだしてみると、聖書学ではかなり扱いは慎重だった気がするが、多分慎重すぎたので、そっちはあまり記憶に残って無くて、むしろ断言的な表現の方が印象に残ったのではないかと思われる。

で今になって改めて調べてみると、ヤムニア宗教会議、いやーこれ、19世紀の研究者が初めて提起した仮説で、資料的根拠なんて全然ないのね。

「要するに、特定の本文上の証明が欠如している、ヤムニア会議ならびに主張されているところの90年というその年代は、学問上の、初期ユダヤ教における長期のプロセスの頂点に対する便宜的な象徴として、用いられている。時として、70年と135年の間のあらゆる発展に対して[この用語が]用いられる場合、この用語は、充分な知識のないままに、公的な行為が特定の日時に特定の集会において為されたと決めてかかるという不利益を招くこととなる。」(Anchor Bible Dictionary Vol.3, New York, 1992, 634.)だそうです。

歴史的に重要な性格を持つ事柄(正典の確定と分派の断罪)なんだから、それを決定できるだけのオーソリティを託された決定母体があるはずだろう、いやあったにちがいない、なくてもいいや、あったことにしておこう、てな話だったんですね。
いや、正典の確定と分派の断罪はヤムニア期のどっかで行われるわけですが、いつのまにかそうなっていったみたいなもんで、「いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように」を特定出来ないんですね。逆にいうと、特定出来ないんだから、誰でもみんな自説を主張できるわけですな。

しかし、僕の研究とからんで困ってしまうのは、つまり1世紀後半の地中海沿岸世界には、まだ統一的正典なんてなかったってことですよ。
誤解を恐れず極論すれば、今日考えられているような「ユダヤ教」のイメージは、早くとも3世紀ぐらいに編纂されたタルムードなんかに見られる自己理解を、より古い時代に遡って当てはめてると言ってもいいくらいなんだな〜。
タルムードに先立つとも言えるミシュナだって、一部を除いて、その大部分はヤムニア以降に整備されているわけで・・・。

で、今さらですが、新約学にまじめに取り組むと、1〜2世紀頃のユダヤ教とキリスト教の相互関係を時系列上に並べることはほぼ不可能というか、史的イエスに関する主張と全く同じで、100人いりゃ、100通りの主張がありうるといったレベルの話であることに気付かざるを得ないわけで、所詮、全てこれ観察者(歴史解釈者)自身の現実と関心に基づいた再構成にすぎないんですな・・・。

「なんといっても、出来事をその文化もしくは集団にとっての重要性の視点によって順位付けるということのニードもしくは衝動は、現実の出来事の物語的表現を可能にするところの、自分自身の歴史について記述しているということに他ならない。それは確実に「普遍的に」単純に出来事をそれらが気づかれた通りに、記録するという以上のものである。」(WHITE 1980
, 10)、とH.Whiteも言ってます(<−強引?)。

でも、観察者(解釈者)っていうものは、みずからの立場を、(肯定的であれ否定的であれ)「正統」もしくは「多数派」とみなされる立場に一旦立つことからしか歴史を語ることができないんですよ。
「非正統(異端)」もしくは「少数派」からの視点といっても、当の本人達は全然自分たちのことを異端とも少数派とも思ってなかったりするわけで(かといって、別に正統とも多数派とも思ってなかったりするわけですが)、だからそもそも「非正統(異端)」とか「少数派」という枠組み自体が、「正統」と「多数派」の立場を大前提としていることになっちゃうんですね。

近代的な歴史学の立場だと、歴史の中にこの「正統性」の根拠となる出来事を見出さないといけないので、ユダヤ教とキリスト教の分離という出来事の根拠として、「ヤムニア宗教会議」の存在を仮定しなくてはならなかったわけですね。
でも根拠ないんですわ。

ていうことはつまり、ユダヤ教とキリスト教の分離っていうものの過程は、従来考えられていたよりも遙かに緩慢で複雑だったってことですよ。

パウロの時代(50年代?)は、まだエルサレムに神殿があったわけで、両者の分離は、これまで考えられてきたのに比して、多分まだ明確には認識されていない、と思われる。少なくともパウロ自身の論点は律法理解批判ではあっても、律法そのものに対する批判とは断言出来ない。パウロは自分がユダヤ人であることをもの凄く強く意識している。

で、福音書成立期(70年頃〜1c末頃?)ていうのは、エルサレム神殿が崩壊してヤムニアにサンヘドリンが移った時代で、いわば過渡期、混沌期なわけで、むしろこの時代になって「相互の集団の規範の相違」が問題になってきているとも言える。
すくなくともこの時点では、マソラ本文は確定されていないが、LXXは既に流布していた。
つまり、ルカ福音書が書かれた頃(90年代?)に、「ユダヤ人」はいたのは事実だし、そうした「ユダヤ人」と「キリスト教徒」の間にそれなりに緊張(敵対的?)関係があったのも事実だが、現在イメージされているような確たる「ユダヤ教」が既に存在したかどうかは、微妙だっつーことですよ。下手すると、キリスト教の発生後にユダヤ教が成立した、なんて言い方だって全く不可能ではないとも言えなくないこともなくなくない?(ってややこしい…)わけですよ。
つまり、「ユダヤ教を乗り越えるため、キリスト教が成立した」とか「ユダヤ教の律法主義をキリスト教は批判した」とか、「ユダヤ教=旧、キリスト教=新」なんて言説なんて、ものすごくいい加減だということで、つまりこれらの言説の「キリスト教」と「ユダヤ教」は、入れ替えても何ら差し支えないってことになっちゃうんですね。
おいおいじゃぁブルトマンは何だったのよ、という気もしないでもないが、まぁそれも時代の限界だったとしか言いようがない(などと偉そうに言ってみる)。

じゃぁ、イエスの宣教行為と、それを伝えている福音書の意味は何なのか?というのが、問題になる、というかそうなると僕は思っているわけで、それはイエスという存在が、V.ターナーの言うところのコミュニタス(communitas)としての境界性(liminality)を有していたということではないか?内なる聖性を保持するために日常性から排除される領域、日常性からはぞっとするような嫌悪感をもって接されるような領域、「世の中」からは非倫理的として断罪されるような領域、まさにそこにイエスが立つ時に神の国の現在性が立ち現れるということを、ルカにおけるイエスの旅行記は、イエスの地理的移動と絡めて物語っているのではないか、などと勝手に論じようとしている今日この頃です。

以上、何言ってるかよくわからない、ぼやきですみませんでした。

参考:
Anchor Bible Dictionary Vol.3, New York, 1992, 634-637.

WHITE, Hayden V., The Value of Narrativity in the Representation of Reality; in: W. J. T. MITCHELL (Hrsg.), On narrative, Chicago/ London 1981, S. 1-23; urspr. ersch. u.d.T.: Critical Inquiry 7/1 (1980) und 7/4 (1981), Chicago

TURNER, Victor, The Ritual Process: Structure and Anti-Structure (Aldine paperback edition), New York 1995; m. e. Einl. v. Roger D. ABRAHAMS, urspr. ersch. Chicago 1969

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2006.01.25

昨年のまとめ3

「昨年のまとめ」その3です。
前回から随分間が空いてしまいました。
奨学金の延長申請のために、ブログ用ではなくて、真面目に研究計画をまとめなくてはならなくなったため、必死で文章にまとめていたので、とてもブログまで気持ちがまわりませんでした(<−・・・って気持ちだけかよ)。
でもまぁ、そのためにも昨年の振り返りは有益でした、と一応言っておこう(笑)。
過ぎ去ってしまったバラバラな過去の出来事を、未来に向けて再構造化するのが、現在という時点における物語構築・歴史構築の本質ですからね(などとわけのわからない言い訳をしてみるが、一応これも僕の研究領域と重なってくるんです、などどさらに言い訳を重ねてみる)。

ーーーーーーー
[前回のあらすじ]
「中心と周縁」概念についてポスコロからネタを拾おうとしてたら、煮詰まってきたので、文化人類学サイドからアプローチをかけようかと思うが、全然素養がないことに気づき愕然とする。
ーーーーーーー

「煮詰まった」とはいえ、広い意味での今後の着想みたいなものは、姜尚中「オリエンタリズムの彼方へ」岩波現代文庫、2004で拾わせて頂きました。

「オリエンタリズムの彼方へ」で大変面白かったのは、第1章で、フーコーを取り上げつつ、近代の規律の基準として生産性が、見えざる中心となってきたということを論じている点でした(<−かなりはしょってます)。
ウォーラーステインは、中心が、周縁を収奪して資本を蓄積していくという、いわゆる「資本主義」のシステムは近代に特有なものだと言っている(と思う)のですが、それはむしろ逆に、近代の資本主義に特有な構造として、周縁が中心によって収奪されることが正当化・固定化されていると言える、と言い換えることもできるのでは?とも思いました。つまり、中心と周縁という形で世界が構造化されるということそのものは近代に特有なのではなくて、中心と周縁という構造の「経済的な」側面が突出して強調されていて、他の側面(文化的・政治的などの側面)を規定してしまっているという状況は近代に固有なのではないか、と言えるのでは?と思った次第です。もっとも、まだちゃんとウラをとってないので、まだ思いつきの段階ですが。

またこれと絡んで、前項で「中心と周縁」という尺度について、僕は「宗教的・文化的」尺度としているのですが、上述のような理由で、近代の場合はむしろ経済的尺度として捉えられていると言えると思います。つまり、周縁=>中心というのは資本が流れていく方向でもあるわけですが、近代の場合、経済的な求心性を保持することが、「倫理的」に正しいこととして認識されてきた、ということができるのではないか?ということなどです。
つまり、ある社会構造において、どれだけ構造の中心へと資本を蓄積できるかという経済的な尺度(=ぶっちゃけると生産性)が、倫理的尺度(=ぶっちゃけると道徳性)として見なされるということですね。要するに、社会が豊かになるために貢献(する人・できる人)=良い(人)・正しい(人)・立派(な人)、ということになるわけですね。そして、生産性を向上させるための要因(時間管理・均質性・合理性などなど)は、いわば「見えない権力」として社会を規定しているわけですが、構造の外(=周縁)に位置するものに対して、こうした要因を持たない者=非道徳的であるというレッテルを付けることによって、周縁に対する中心の優位性を確保するともいえるわけです。要するに「国民は働き者で善人だが、外国人は怠け者・犯罪者」というイメージを規定することによって、「だから外国から国内へと資本を集中させることは正しいし、外国人は徹底的に管理されないといけない」という論理を導き出すわけですね。

・・・なんて偉そうなこといっても、結局「オリエンタリズムの彼方へ」からの孫引きなんです(<−例によってかなりはしょってますが。誤解があったらすいません)。多分、その辺のことは、I.ウォーラーステインの「世界システム」理論なんかと併せて詳しく論じるべきではないか、と思うのですが、まだ読んでないんです。すいません。

また「オリエンタリズムの彼方へ」の第2章で、学問そのものも、近代の発展の影響を受けているわけで、歴史学・文化人類学なんかは、まさに生産性に益することが学問としての隠れた目的になってしまっているとも言えるということを考えさせられました。つまり、収奪者としての中心を正当化できるように、他者を周縁化して規定できるための歴史、あるいは文化理解こそが、唯一の科学的な視点であるとして形成されてきちゃったと言えなくもない、ということなんですね〜。
このあたりは、「他者を理解するとはどういうことか」という普遍的な問いが根底にあるわけで、実はこの問いは、今日の聖書学研究においても決して無関係なものではないというか、社会史的研究においてはかなり重要なテーマでもあるのです。

というわけで、いろいろな着想および課題のヒントにはなったわけですが、う〜んやっぱり、近代と同じ問題意識で古代を切っちゃうのは、限りなく意味の無い問題提起になりかねない危険性があることに(至極当然ながら)気づいたわけで、その辺が煮詰まり具合だったわけですね

実は、このあたりで既に夏休みに入ってしまうのですが・・・いやいや、どっから手をつけていいのやら・・・、困ったな〜・・・、つう感じですな。

そういうわけでこの項さらに続く。

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2006.01.04

昨年のまとめ2

「昨年のまとめ」続きです。

ーーーーーーー
[前回のあらすじ]
とりあえず、「円錐型社会モデル」というのをでっち上げて、LEEが指導教授に提案したところ、「総論OK。でも各論はきっちり詰めてね。」というあまりにも予想通りの反応が返ってきたのであった。
ーーーーーーー

まぁ、「円錐型社会モデル」なんて、日本を初めとする東アジア文化圏の中では、そんなに目新しいものでもないですよね。いつかどっかで誰かが何かしら言ってたような、そんな感じの内容を、とりあえずまとめてみただけだったのでした。

教授からは、「着想は面白いと思う」という意見を頂きました。というのも、Stegemann教授は、ドイツでの社会史的新約聖書研究の中心的人物の1人なわけですが、その研究の中心は、1c後半の地中海世界の社会におけるピラミッド型階層構造の中で、イエス自身〜初期キリスト教会成立にいたる時代の活動は、どのあたりの階層にいた人たちを中心としていたか、そういう人たちの生活はどのようなものだったか、そこではどういうことが日常生活における課題となっていたか、どういう環境の変化があったか、ということなわけです。で、教授の見解としては、初期のキリスト教は、イエス自身の活動の段階から時間を下るにつれて、社会階層の中での位置を移動・拡大していったのではないかという前提に立って、その変遷の段階を追っていくというものなわけです(<−かなり大雑把です。間違ってたらすいません、先生。)。
で、僕の着想は、ピラミッド型階層構造の「上層ー下層」という尺度に、「中心ー周縁」という、宗教的・文化規範的な尺度を加えたわけですね。だから、ある意味では教授の階層理論を、文化的な側面から補足できる可能性があるかもしれなかったり、ないかもしれなかったりするわけです。

そういうわけで、教授としては当然「面白いと思う。で、そういうのをまとめて説明している論文とかは無いの?英語だったら、そのまま引用してOKだから。」と訊いてきました。う〜ん、そうですね〜、ドイツ語になってるのはちょっと思いつかないけど、英語になってるものはあったかな〜、というかそもそもこういう感じでまとめてあるのってあったかな〜。というわけで、例によって「また調べてきます」と言って次回までの宿題に。

しかし、今考えてみると、こういうのでぱっと思いつくのと言えば、まぁ中根千枝「タテ社会の人間関係―単一社会の理論」講談社、1977年とかでしょうか。ただ私の理解では、中根千枝は日本に特殊な文化構造として「ウチ・ソト」の論理を描いているのでは・・?という気がしないでもないけれど、やっぱり一応確認しないとダメですよね(<−当然)。ちょっと調べてみたら、英語文献もありますね(<−引用の際に自分で訳すより楽だし)。しか〜し、こんなことなら日本で大量に文献を仕入れてくるべきでしたって、その時は、まさかこうなるってわかんなかったですからね〜。

で、話は戻って、とりあえずその時には、まず日本の「身分制」ないし「被差別部落」についての論文とかで、英語ないしドイツ語になってるものとかないだろうか?ということを考えてみる。とりあえず神学校の図書館の検索端末で蔵書を探すが、これといったものがヒットしない。しかたがないので開架書庫の関係ありそうなあたりを探すと、 "Brennpunkte in Kirche und Theologie Japans", Neukirchen-Vluyn,1988 というものにぶつかる。これは日本のキリスト教会の社会的課題についての論集のドイツ語訳ですな。編者は、え〜っなになに "Hrsg. von Terazono Yoshiki"、あらっ、そういえば昨年WeimarのDOAM120周年記念シンポジウムで久しぶりにお会いしてました。などど思いつつ、中を見ると、過去にNCCから出された声明などを中心に、日本の教会の社会問題への取り組みの現状と課題などを紹介されています。う〜ん、でもこれだと今日的・具体的すぎて、何かの折に宣教学ゼミとかで紹介したら面白いけれど、今回の目的にはちょっとあいませんな〜。とか言いつつ、参考文献リストなどを眺めていると、Michael Weinerとか言う人の名前が散見される。そこで、Karlsruher Virtueller Katalog (KVK)という図書館蔵書横断検索のサイトで調べてみると、Weiner, Michael (ed), "Japan's Minorities: The illusion of homogeneity", London/New York, 1997というのがヒットしました。んんん、とりあえずこれっていけるんちゃう?ということで、神学校の図書館を通して、館外貸し出しの申込みをする。待つこと約10日(<−日本だったら遅いけど、ドイツ的にいうとかなり素早い対応)、Tuebingen大の図書館から送られてきました。どうやら、イギリスのSheffield大の日本研究センターとの協働で出されたもののようです。編者は、Scheffield大の東アジア研究所の所長だそうです・・って思って今調べたら、現在はアメリカのSan Diego State Universityの Department of Asia Pacific Studiesの名誉教授だそうです 。同氏のサイトによれば近代日本の経済・社会史が専門だそうです。で、件の本の中身はというと、「アイヌ」「被差別部落」「韓国人被爆者」「日本における中国人社会」「オキナワン」「日系人」など、いやなかなか興味深い寄稿が・・・。いやいや個人的には大変興味があるけれど、やっぱり今のところはもうちょっと社会モデル構築に役立つようなものに集中しなくては、ということで、その中のWeiner, M, "The invention of identity: 'Self' and 'Other' in pre-war Japan"、というのと、Creighton, M, "Soto Others and uchi Others: imaging racial diversity, imaging homogeneous Japan"、というのをピックアップすることに。このあたりから、急速に聖書学から離れていくことに不安を覚えつつ、とりあえず、このあたりを簡単にまとめて、教授に報告。

教授曰く、「まぁ、そんな方向でいいですから、とりあえず社会科学的な方法論について、20〜30ページぐらいでいいから(<−涙)、とにかに書いてまとめてみなさい。聖書テキストについての取り組みは、それが終わった後にしましょう。ところで、その際には、多分まず母語(<−僕の場合は日本語になります)で書いてみて、その後全体を翻訳した方がいいでしょうね。いきなりドイツ語で書くと、誰もあなたの言いたいことを理解できなくなってしまう危険性がありますから(<−涙)。」・・・的確なご指導ありがとうございます(涙)。

 「とにかく書け!」というそのお言葉に正直びびりつつ(<−びびってどうする)、どっから手をつけたもんか、と考えてみることに。社会科学って言ってもな〜、僕は元哲学科だし。哲学と社会科学って、重なるようで、重ならない、けど全く関係ないわけでも無い、っていう微妙な距離感があります。が、いずれにしても、基礎的な知識が欠けていることには変わりはないのでした。
 とりあえず、「内と外」「中心と周縁」という概念について、触れてそうなものはないかと、闇雲に神学校の図書館の文献を検索したり、書庫を探ってみたりする。まぁ、でも神学校の図書館では、専門外の文献の蔵書なんてたかがしれてますけどね。とかなんんとか言いつつ、いくつかの紆余曲折を経て、「周縁化といえば・・・、う〜ん、ポスト・コロニアル批評とかになんかいいのんないんかな〜」とBhabha、Spivak、Saidあたりで探してみる。結局、単に好みだからという理由と、文庫で日本語訳も出てるし、というものすごく消極的な理由で、とりあえずSaidの"Orientalism",New York,1978 あたりからネタを探すことにする。
とりあえず、Amazon.deでオリエンタリズムの英語原書版を古本で買う。次いですかさずAmazon.co.jpで日本語版の文庫を買う。ついでに姜尚中「オリエンタリズムの彼方へ:近代文化批判」岩波現代文庫、2004年も買う。もう完全に、聖書学の文献からは離れてしまった・・・。

買った本を東京の妹の家宛の配送にして、こちらに送ってもらう。お世話になります。いつもありがとうございます。
「オリエンタリズム(英語/日本語)」、「オリエンタリズムの彼方に」を並べて、あっちを読んだりこっちを読んだりする。いやぁ、やっぱり「オリエンタリズムの彼方に」面白いですね。でも、「内と外」・「中心と周縁」・「自己意識と他者の創出」というテーマとは確かに関連してはいるものの、話が近代にしぼられているから(<−だってポスト・コロニアルだから当然なのだが)、このまま古代地中海世界にあてはめるのは、いくらなんでもそら無茶苦茶すぎるだろう、という至極最もな意見が頭に浮かぶ。う〜ん、そうするとちょっと目線を変えて、文化人類学的アプローチの方を探してみるか、と思うにいたるのだが、私のこれまでの人生の中で、文化人類学についてまとまった知識というと、子どもの頃読んだビーグル号冒険記とかコンチキ号漂流記とかまで遡ってしまうことに気がつき愕然とする。
このあたりで、さらに今度は文化人類学関連までも資料漁りの対象になることに・・・。いつになったら聖書学に戻ってこれるのか・・・・。

またまた長くなったので、以下この項さらに続く。

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2006.01.03

謹賀新年・昨年のまとめ1

少々遅くなりましたが、皆様あけましておめでとうございます。
どうぞ今年も宜しくお願いいたします。

またしても、更新に間が空いてしまいました。
勉強に関しては、色々資料を読んでいたのですが、なかなか文章にまとめるまでにいたっておりませんでした。
それで、ついついBlogの更新にまでには(気持ちの上で)至らなかったのでございます。(<−苦しい言い訳だ・・・)

この機に、自分自身の覚え書きとして、時系列的に昨年に読んだ資料を感想を交えつつ振り返り、そしてその結果考えたことを断章的に書き散らしてみたいと思います。(<−まぁゆうたら自己満足ですな)

とりあえず、指導教授から「社会学的な研究方法についてまとめてみなさい」と言われて、一体何から取り組んでいいかよく分からなかったのだが、とりあえず教授が貸してくれた本を斜めに読んでみる。幸い英語だったので、ドイツ語よりもまだわかりやすい(<−なんてこといってちゃダメなんですが)。

Neyrey, J.H. (ed.), "The Social World of Luke-Acts: models for interpretation",
Massachusetts, 1991

この本を貸してくれる時に、教授が「Deviantがキーワードになると思うよ」とナゾのようなことを言う。語彙の乏しさでその場ではデヴィアント?なんじゃそりゃ、みたいな感じで、とりあえず帰る。実は「Deviant」というのは日本語では「逸脱」と訳されていて、かなりぶっちゃけて言えば、1c頃の古代社会の状況を語る際には、定住している土地を離れて放浪を始めた人たち、あるいはそういう放浪行為などを指す用語なのです。さらに言えば、G.Teissenが初期キリスト教の宗教的背景として「放浪のラディカリズム」を提起して以来、社会史的な新約研究においてはまぁ常識みたいな用語ですね。知らなかったとはいえ、お恥ずかしい・・・。

上述の本は、社会学的な視点を新約聖書の研究に持ち込んでみると、どういう切り口が見えてくるか、ということを複数の著者が書いたもので、要するに僕がまとめなければならない方法論の、まぁゆうたらお手本みたいなものだったわけですね。

教授に次回の面会日を決めてもらったあと、しばらくはだらだらとやってるわけですが、期日が近づいて来ると、必死になってきます。とりあえずこの本の使えそうな箇所を選んで読んでみる。要するに、キリスト教が成立した1c頃の古代地中海社会は、個人主義なんて当然ないわけで、あくまでも集団としてのアイデンティティの中で生きてたってわけですね。そして、そういう集団的アイデンティティを象徴する概念が、「名誉」と「恥」というものなわけです(<−かなりはしょってます)。
「逸脱(Deviant)」というのは、いわばこうした集団的アイデンティティの構造の外側あるいは周縁に位置づけられるわけで、こういう逸脱行為と初期のキリスト教とは少なからぬ関係があったわけですね(<ーかなりぶっちゃけてしまってます)。

あ〜、でもそういう集団的アイデンティティと「恥と名誉」の感覚って、別に古代の地中海世界だけでなくて、今でも中東や、アジアなんかではそうなんじゃない?とここで思ってしまったわけです。
はっきりいって、日本社会だって、全然個人主義なんかじゃありません。日本人らしくないことは「恥」ですから。今時のドイツでは、「らしくないこと」っていうのが「恥」になるというのは、もう全く理解できない世界の出来事のようになっているようです。そもそも現代の(特に旧西側諸国の)ヨーロッパ社会では、自分は、自分という個人しか代表してないわけで、そうすると世界は自分を中心に構築されていて、自分という絶対に動かない視点から世界を見ているわけですね。
たしかにドイツ語では(というか多くのヨーロッパ言語でも同じように)常に1人称単数は"ich"なわけですよ。相手が誰だろうと、ichはichなわけですよ。でも、日本語だと、まず通常の会話で行為主体としての主語が使われることっていうのは、その行為の責任の主体が問題になる時ですよね(例:「私がやりました」みたいな)
。しかも、「私」はいつも「私」じゃなくて、「俺」になったり「僕」になったり「おいら」になったり「あたし」になったり「我が輩」になったり、時として「朕」(「まろ?」)なんて言うことだってありえたりするわけですね。ざっと数えるだけでも、1人称単数を表す代名詞は、日本語の中に10はあると言ってもいいのではないかと思います。そしてそれは、話し手と聞き手の社会的関係に依存するわけです。ということは日本語を使っている人は、無意識のうちに(あるいは意識的に)、自分が所属する文化と社会の構造の中に話し手である自分と聞き手である相手を位置づけている、つまり、いわば集合的・共有的なアイデンティティの上に自分と相手を位置づけているわけではないか、と思ったわけです。
そして、在日韓国人3世としての僕自身の家族史なんかを振り返ると、ある同一の行為が、どの社会の集合的アイデンティティへの同化作用の影響の下で認識されるかによって、恥になったり名誉になったりする、というのは良くわかるわけです。

とりあえず教授には、そういう個人的な文化的社会的背景を下に、「集合的アイデンティティ」と、その形成に影響を与えたと思われる古代地中海社会の社会環境について整理してみます、と言ってとりあえずOKをもらい、また次回の面談へ。
ついでに、他にも本を貸してもらう。
Malina, Bruece J, "The New Testament World: insights from culutural anthropology", Atlanta, 1981.
Malina, Bruece J, "Christian Origins and Cultural Anthropogy", Atlanta, 1986.

どれも英語なのがありがたいが、ちょっと情けなくもある・・・。
あわせて、「Mary Douglasも関連があると思うよ」というまたもやナゾの言葉・・・。

後でわかるのですが、M.Douglasというのは「王は君臨すれども統治せず」という一節で有名なE.E.Evans-Prechard門下のイギリスの文化人類学(社会人類学)者で、象徴人類学の代表的な存在なんですね。実は旧約聖書「レビ記」の食物禁忌の概念について、それまでの説明、例えば原初的な衛生規定であるという説でも、あるいはユダヤ人の神への献身を試すためのランダムな選択であるという説からでもなく、象徴的な「境界の維持」のためであるとして説明した人だったのでした。(Douglas, Mary, "Purity and Danger: An Analysis of Concepts of Pollution and Taboo", London, 1966.他)

あー、境界(liminality)ですか・・・。と、このあたりで、文化人類学関連の資料漁りが始まっても良さそうなのだが、実はまだこの段階では、よく分かっていなかったっす。
とりあえず、東アジア社会の例を出した手前、それをもう少しまとめて見ようと思い、簡単なモデルとして円錐型の社会構造を考えてみることに(下図)。
Kegelmodel
まぁ、見たまんまなのだが、王(あるいは宗教的指導者)を頂点とした、よくあるピラミッド構造+王(あるいは宗教的指導者)を中心とした、よくある同心円構造を組み合わせただけのものです。仮説として、「頂点(上層)=純粋」かつ「中心=浄」であるのに対して、「底辺(下層)=雑種」かつ「周縁=不浄」という尺度を当てはめてみました。それに、上述の「名誉と恥」の概念を組み合わせると、この「名誉と恥」というのは、この社会構造を保持するための文化的な機能として位置づけることができるわけですね。つまり、名誉というのは頂点との距離を縮めるということなのですが、それは構造の一点集中度合い(=緊密さ)を強化することになります。逆に、この構造を拡散させようとする行為は「恥」として理解されるわけですね。

そして問題は、例えば構造のA点にいる者が、何が名誉であるかということを認識しようとする場合、それはまず自分が構造の中のどの位置にいるかということを認識しないといけない、という点です。つまり、どっちに向かって近づいていくことが「名誉」なのか、どっちが上でどっちが中心なのか、ということを認識しないといけないわけです。
で、そう言う時に、どうやって自分の位置を割り出すかというと、底辺としての周縁が定まることによって、中心と自分の位置関係を認識するのではないか、と考えた訳なのです。

だから、周縁というのは、構造を存続させるために不可欠な存在であり、周縁なくして中心は成り立たないとも言えるのではないか、と仮説しました。そしてこの仮説を展開すると、構造が維持されるためには、周縁は周縁に留まらなければならないこととなるわけです。だって、周縁が周縁であることを辞めてしまったら、構造の中にいる人は、どこが中心かが分からなくなってしまうために、中心が中心でありえなくなり、結果として構造が崩壊してしまうからです。だから、周縁に位置する者がその位置から離れることは「恥」として、あるいはより強くは「禁忌」として見なされることが不可欠になりうるわけですね。

さらに言えば、1c頃の古代地中海世界においては、こうした円錐型の構造は大きくはローマ帝国によるものが存在したわけですが、その内部で複数重なっていた、ということも考えられるわけです(下図)。

Kegelmodel-2 で、それぞれの円錐型構造の上に行けば行くほど、構成小集団(生活小集団)としてのアイデンティティも純粋さを増し、集合的アイデンティティとのギャップは小さくなりますが、逆に下に行けば行くほど、ギャップは大きくなり、構成小集団(生活小集団)相互の共通点もすくなくなります。つまり雑多な、まとまりのない多くの小集団によって構成されることになります。さらに同時に、これらの雑多なまとまりのない多くの小集団は、同時に複数の構造の下層に位置するため、越境性が高くなります。つまり、ユダヤ社会の最下層は、同時にローマ社会の最下層でもある、ということが起こりえたのではないか(少なくともそういう地域がありえたのではないか)?ユダヤ社会の構造を底辺・周縁として規定した層は、同時にローマ帝国の構造を規定する層でもあったのではないか?そして、初期のキリスト教は、この下層をその宣教の活動の場とし、またそこに生きた人たちが宣教の主体を担ったのではないか?という、アイデアだけは壮大な仮説を教授に提案してみました。

結果は、「総論OK。だから、各論はもっと厳密に詰めてきてね。」というあまりにも予想通りのものでした(涙)。

このあたりから、僕の資料漁りが本格的に始まることになるのですが、長くなったので、この項続く。

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