カテゴリー「旅行・地域」の26件の記事

2009.07.09

またもや滞独中

全然論文は進んでいないにもかかわらず、またもや2週間の予定でドイツに昨日からきています。
いやまぁ、進んでいないからこそ、ちょっとでも進めるために、この時間を使わなければならないのは言うまでもありませんが、言ってしまうと、なんだか情けない。
ほとんど指導教授に怒られにきたようなものなのですが、優しい先生はきっとおこらずに励ましてくれちゃったりして、余計に情けなくなるのは必定なのですが、まぁそれも身から出た錆なのでどうしようもないですな。
とにかく、せっかくいただいた時間ですから、有効に活用したいと思っております。

 しかし、1年ぶりのNeuendettelsau、さすがに列車が駅に近づくと、万感の思いがこみ上げてきます。
留学中を過ごしたこの村には、大変だったドイツ生活の最初の頃、友人たちとの楽しかった思い出、苦しかった研究生活(原則まだ続いてるはずなのですが)、いろんな思い出が詰まりまくっています。
近い将来、妻と子どもたちと一緒に是非またここに来なければ、そんな思いを強くしたのでした。

 で、そんな具合に1年前を懐かしみつつ、散歩と買い物を兼ねて、下の子どもたちが通っていた幼稚園に行って、子どもたちが先生に書いた手紙と、友達への手紙を託してきました。
 雨男の僕が外にでるととたんに大雨。もっとも、この天気のめまぐるしい変わりようは、まさになつかしいFrankenの天気です。丘陵地帯なので、一日のうちで天気が目まぐるしくかわるのです。
 で、その大雨の中幼稚園まで歩いて行くと、玄関先で雨宿りしながら、手紙を託された一人の男の子とそのお母さんが、昔のうちの子どもたちの担任だった先生と、ちょうど立ち話してました。雨のおかげで、この人たちには直接手紙を手渡せたので、よかったよかった。たまには雨男もいいことあるね。

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2007.09.05

自転車でHeilsbronnのMuensterへ

写真を追加しました。
右欄の「マイフォト」からご覧下さい。

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2007.05.12

Zeckenimpfung ダニ脳炎の予防注射

先日の幼稚園の保護者だより(みたいなもの)にZeckenに気をつけましょう」というお知らせが・・・。

Zecke(n)というのはダニの一種(マダニというらしい)で、日本のダニに比べると随分でかい(らしい)。
ヨーロッパの一部の森林部に生息していて、木の根本に群生している背の高い草とかにいる(らしい)。
スイスとかオーストリアに多いらしく、ドイツでは南ドイツ(主としてBaden-WuertenbergとBayernm、及びその他隣接する州の一部)が「危険地域」に指定されている(らしい)。

で、なんで幼稚園の保護者だよりに載るくらい「危険」なのかというと、FSME(Fruehsommer-Meningoenzephalitis)という脳炎ウィルスと Borrelioseという細菌性の病気(日本ではライム病というらしい)を媒介するかららしい。
(他にもいろいろ媒介する病気はあるらしいが、主としてこの二つがかなり危険らしい。)
実は最近ドイツ・ナショナルサッカーチームの一員であるBastian Schweinsteigerもこのダニに刺されて、Borrelioseになって大変だったらしい。

Borrelioseは細菌性のものなので、刺されてすぐに抗生物質を処置すれば命に別状はないらしいが、熱が出て腫れてまくってすごく痛いらしい。
で、FSMEの方は、脳炎なので子どもがかかると結構危ないし、ウィルスなので(特に子どもの場合)予防接種しか有効な対抗策はないらしい。

とりあえず、幼稚園の保護者便りを読んだあと、ここここを参考にして以上のようなことがわかる。
う〜ん、日本で予防注射は一通りやってきたけど、こんなのはしてないよね・・・と思いつつ検索すると、外務省の安全情報がヒット。やはり「現地にて行うことが必要な予防接種」としてあげられています。

さらに、上記www.zecken.comの危険地域情報を見ると・・・我が村Neuendettelsauもばっちり「高危険地域」に入ってました・・・。

どうもこの10年間で、温暖化のせいか、ダニが暑い夏に大量発生したり、暖冬で生き延びちゃったりして、危険地域が一気に拡大したらしい。
幼稚園の保護者だよりでは一応、「ダニよけローション」の使用と、まだ予防接種をしていない人には検討を呼びかけるものの、なにしろ「決断は個人の自由」の国なので、あくまでの「お好きなように」。
周囲に聞くと、地元の人はほとんどみな(大人も子どもも)予防接種を受けているらしい。幼稚園の先生に相談すると、「刺されたらどっちにしても病院に行かないといけないので、いずれにしても刺されないように注意しないといけないけれど、子どもの場合そうはいっても難しいから・・・」とのこと。
まぁ北ドイツに住んでてそこから出ないなら全然問題無いわけですが、北ドイツの人でもここFrankenに休暇で山歩きに行く予定の人は、あらかじめ(1年前から!)予防接種をしておくことが推奨されるらしい。しかも、都会に住んでいるならまだしも、周囲は森と畑ばかりの田舎の村ですからねぇ・・・。しかもダニ脳炎になると、半年ぐらいは寝込むらしいとも聞き、そんなことで半年棒に振ってしまってはどうしようもないのでこの際家族揃って予防接種をすることに。

ただし、この予防接種、一応3回しないと継続効果がないらしい。通常1回目の4週間後に2回目、その8ヶ月後とかに3回目をうつらしい。え〜、なんですか、そんなの今更やって意味あるんですか、とも思ったが、上記のwww.zecken.infoというサイトを見ると、一応短期間で済ますことのできるもの(ただし持続効果は短い)もあるらしい。まぁそれなら、ということで、とりあえず近所の小児科医に相談に行く。
受付で「Zeckenimpfung(ダニの予防注射)のことで訊きたいんですが・・・」と話し始めると、どうもそういう人が今、大量に来ているらしくて、「初めてですか。で、いつにしますか」と間髪入れずに訊いてくる。もうそんなに長くはドイツにはいない旨を伝えて、短期間で済むパターンで出来ますかと聞くと、「通常の方式でも、最初の1回で約80%の効果があります。4週間後の2回目の接種でほぼ完了し、8ヶ月後のものは効果を継続させるためのものです」とのこと。でも実際は結局3〜5年で定期的接種を繰り返さないといけないらしい。まぁ、そんな先のことは関係ないので、とりあえずは今夏を安全に乗り越えられればいいわけで、少なくとも最初の2回の接種を受ければ、それなりの効果はあるということがわかる。
小児科だったので「両親もここで一緒に受けられますか」と訊くと「おじいちゃんやおばあちゃんでも一緒に受けられますよ」とのこと。とりあえず一週間後に予約をしてその日は帰る。というのが、先週の火曜日の話。

で、昨日の夕方、家族でぞろぞろ記念すべき第1回ダニ脳炎予防接種に行く。
子ども達の「母子手帳」にはこれまでの予防接種記録が載っているので一応持参する。病院の受付の人は英語で「脳炎」の病名(encephalitis)がついているところを発見して「日本脳炎」の欄を指して、「これ、そうですか?」と訊いてくるが、あたりまえだが「ダニ脳炎」の接種の記録欄なんてない。結局、ドイツの「予防接種手帳(Inpfheft)」という黄色い手帳を作ってもらうことに。

しかしここで問題が。大人も接種してもらおうと、張り切って行ったのに、受付で「え〜、予約してたとおり大人も」と言ったら「あーそれがちょっと問題があって・・・在庫が無いので注文しなければなりません。これから電話するので、来週になります。・・・て先週のうちにしとけよ!と思うものの、まぁそんなことはドイツでは日常茶飯事なので、軽く流して、来週にしてもらうことに。ワクチンが到着したら電話してくれるそうです。しかし、そっちの方が手間なんとちがうんかい・・・・。

子ども達はというと、お医者さんの神業的なものすごく素早い注射技能によって、打たれ事もわからないうちに全員無事終了。まぁ一応これで80%は危険は回避されたわけで、一安心。
下の子ども達は、毎週ダニよけローションを塗って、幼稚園の「森のお散歩(Naturnachmitag)」におでかけしております。
しかし世の中には、いろいろな心配の種があるものだ・・・と嘆息したのでした。

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2007.04.13

ドイツ・ミッテルフランケンのイースター Ostern in Mittelfranken, Deutschland

Frohe Ostern!
ちょっと遅くなりましたが、皆様イースターおめでとうございます。

ドイツのイースターについて紹介することも、私のドイツ滞在の重要な責務のうちと思いちょっとご紹介。
決して論文作成が煮詰まり続けているからではありません・・・。

さて、復活祭、イースターのことをドイツ語ではOsternと言います。
なお「Ostern」について、グリーティングカード(Glueckwunschkarte)の書き方などのガイドブックであるDuden, Briefe gut und richtig schreiben(デューデン刊「正しい良い手紙の書き方」)2006年版のp.558には次のように書かれています。

Ostern
1. 性:今日、一般にOsternは中性名詞単数として理解されている。[例]Hast du ein schoenes Ostern gehabt? しかしながら主として性別を示す語(冠詞)無しで用いられている。[例]Ostern ist laengst vorbei. 中性単数の形式以外に、他の形式が出現することもある。しかしながら、地域的に限定されている。固定化された決まり文句的な表現の場合には、一般に複数形が広まっている。[例]Froeliche Ostern! Weisse Ostern sind zu erwarten.
2. an / zu Ostern:an もしくは zu の使用は、地域によって異なっている。特に南ドイツでは an Ostern と言い、北ドイツでは zu Ostern が一般に使用されている。どちらの表現法も正しいものである。

この「どちらも正しい」という結論、規則にこだわるわりに、結局どっちでもいい、というあたりが、いかにもドイツ的レリヴァンツ(妥当性の基準)です(笑)。

北海道よりもさらに緯度の高いドイツにいると、復活祭が冬から春への変わり目の時期であることを、しみじみ感じさせられます。その意味で、Frohe Ostern!(イースターおめでとう!)の挨拶は、日常生活においては、宗教的な意味と言うよりも、春の訪れの喜びを分かち合う役割が圧倒的に大きいと言えるのでしょう(いやもちろん南半球だったらもちろん秋から冬なのですが)。

Cimg0192 なんでも早くから準備するドイツでは、すでに四旬節(QuadragesimaもしくはFastenzeit)からあちこち、復活祭用の庭飾りなどを飾っているところもぼちぼちあります。
そして、イースター用の庭飾りというと、やはり「卵」です。色とりどりの卵を庭木にぶらさげて飾っています。スーパーなどでも、この飾り用のプラスティックの卵が、四旬節にはたくさん売られています。



Cimg1021 子ども達が通うDiakonie設立の幼稚園では、園庭の木にたくさんの彩色した本物の卵が飾られました。

学校は、イースターをはさんだ前後1週間、計2週間がOsterferien(イースター休み)となります。
ちなみにBayernでは、四旬節のはじまる直前であるFasching(いわゆるカーニバルの時期)の時期も、「冬休み」と称して1週間の休みがあります。
(クリスマスから年末年始は、クリスマス休み( Weihnachten ferien )と
当たり前ですが、イースターに合わせて毎年休みの日程は移動します。
幼稚園は、そもそも来ても来なくても自由なのですが、一応いわゆる洗足木曜日から、イースター開け火曜日までが閉園期間となっています。

幼稚園では、休みに入る直前に、子ども達はOsterkoerbchen(イースター小籠)を作っていました。出来上がったカゴを廊下に並べた後、クラスで「Osterfruehstueck」(イースターの朝食)を食べて、また廊下に出てみると、廊下は藁がちらばっていて、カゴの中には色つきのゆで卵が入っていたそうです。
Cimg1025 子ども達によるとそれは「Osterhase」(イースターのうさぎ)がやって来て、卵を入れてくれたのだ、と先生が言っていたそうです。
写真は、そのOsterkoerbchenと卵。ウサギの人形は、ゆで卵がさめないようにするEierwaermerというもので、「先生が作ってくれたの?」と訊いたら、「ちがうの、これもOsterhaseがくれたの」だそうです。

Cimg0205 Osterhaseに代表されるように、Osterを象徴するキャラクターはまずはウサギで、クリスマスが終わったら、スーパーではウサギのチョコが大量に売り出されます。その他には(四旬節らしく?)ヒツジの形のスポンジケーキとかクッキーとかも時折みかけます。
写真は、ウサギの置物と、ウサギのチョコ。バックのロウソクは幼稚園のイースター礼拝でもらってきたもの。



Cimg1098 Cimg1102 またこの時期パン屋(Baeckerei)では、Osterbrotというものを売り出します。
Osterbrotがどんなものかは、地方によって異なるようですが、ここ北バイエルン・中部フランケンでは、丸くて比較的大きく(直径20cmぐらい)で、中にレーズンとオレンジピールがたくさん入っている、甘めのパンのことをそう呼びます。写真は近所のBaeckereiで買ってきたOsterbrot。なかなかおいしいです。

復活祭の一週間前、受難週の始まりとなるいわゆる「枝の主日」は、村の教会では意外とあっさりと、ほぼ通常通りの礼拝が行われました。その代わり(?)、礼拝と並行して行われる子どもの礼拝(Kindergottesdienst)の幼稚園児グループでは、子ども達がネコヤナギの枝をもらってきました。
ちなみに、ドイツでは、ネコヤナギの花序のところを指して、Weidenkaetzchen(柳のネコ)と言うそうです。

また、この教会では、木曜(Gründonnerstag)は昼に祈祷(小礼拝)、夜には、罪の告白と聖餐を重点を置いた(どうも南ドイツに特徴的らしい)「懺悔と聖餐礼拝」Beicht- und Abendmalsgottesdienstが行われました(ちなみに典礼色は「白」でした。へ〜。)。前半で、「懺悔と罪の赦しの宣言」があるわけですが、洗礼の際の問答に近いものが用いられており、後半の聖餐への関連と併せて、なかなかうまい構成になっています。

金曜(Karfreitag)には午前中には「受難日礼拝」(ほぼ通常の礼拝と同じ・子ども礼拝もあり)、午後2時半から「イエスの死の時の礼拝」(Gottesdienst zur Todesstunde)、この礼拝では聖壇の上にあるものが取り去られました。夕方にはティーネイジャーを対象とした青少年礼拝「FIRE」(Jugendgottesdienst"FIRE")が集会室で行われました。

そして土曜日(Karsamtstag)は昼の祈祷(小礼拝)のみ。

日曜、復活主日(Ostersonntag)は、早朝5時半から「Osternacht」(なぜか「イースターの夜」というらしい)と呼ばれる礼拝が行われます。2年前のブログにも書いたのですが、このOsternachtと呼ばれる礼拝は、それぞれの地域の独特の習慣が反映されるようです。ここ北バイエルン、中部フランケンでは、まだ薄暗いうちに、ほとんど真っ暗の状態の中で礼拝がスタート。はじめに壇上で子どもと大人とが問答のようなことをする(「どうして世界の最初に戻ったの?」とか子どもが訊いて、大人が応えるなど)。当然何にも見えないが、出席者は慣れているのか、あまり気にしていない。その後、聖壇(東向き)向かって右手(つまり北側)の扉から会堂の外に、ぞろぞろと全員が出る。やっぱり100人ちょっとぐらい来ているので、出るだけでそれなりに時間がかかるが、みんな慣れているのか気にしていない。外でたき火が焚かれて、そのまわりを出席者が取り囲む。牧師がリタジーを用いつつ、たき火の火からでっかいロウソク(Osterkerze、パスカキャンドル)に火をつける。その後教会の外側をぐるっとまわって南側の扉まで、行列になって進み、南側の扉から中へ。すでに中央ヨーロッパは3月末の日曜から夏時間に変わっているので、このあたりで既に外は明るくなっている。礼拝堂内も明るくなり、一気に復活祭モードへ。小一時間程度で一通り礼拝が終わり、やはり伝統らしいOsterfruehstueckが、集会室で行われます。
8時半からは、村内の教会墓地での復活礼拝(Auferstehungsfeier)、そしてその後には、いわゆる「主日礼拝」(この村では毎週朝9時半から)が行われます。
主日礼拝そのものは基本的に通常通りの聖餐礼拝でしたがが、賛美歌・奏楽などで復活祭らしさを醸し出しています。
礼拝後には、日本なら食事会(祝会)などがある場合が多いですが、ここドイツの田舎の村では、それぞれの家庭で食事会をすることが多いので、そういうのは全然無し。礼拝が終わって挨拶したら、あっと言う間に皆さん自宅へお戻りです。
さらに、ドイツではキリスト教の三大祝祭日(復活祭、聖霊降臨祭、降誕祭)は日・月の二日間が祝日扱いになっているため、(出席者がそれなりにあるような地域では)月曜日(Ostermontag)にも礼拝が行われる教会もあります。我が村Neuendettelsauもその一つでした。

さて、この村の牧師は、周辺の二つの村の礼拝堂での礼拝も担当しています。さすがに木〜月までの間にこれだけ礼拝が集中しているのを1人の牧師がやるわけではありません。専任の2人の牧師が交代で担当し、また周辺の村の礼拝は基本的に二週に一度になっています(早天礼拝はうちの村だけ。またイースター主日の礼拝の場合は他の二つの村は日曜と月曜に割り振られていました)。またその他にも、引退・現役を問わず牧師がごろごろいる村なので、必要に応じて、神学校の教員や、Missionswergのスタッフなどが交代で担当しています。また、ティーネイジャーや子どものための礼拝は、基本的にボランティアを中心に運営されています(青少年担当の専任スタッフが1人いるそうですが)。

この村にはその他に、カトリック教会、そしてディアコニーのチャペルがあります。ディアコニーのチャペルは、チャペルとはいっても普通の教会よりもむしろ大きいぐらいで、しかもそれなりに歴史のある(ほぼドイツのディアコニーの歴史と重なるぐらいで、先頃150周年を迎えた)ディアコニーなので、かなり典礼的です。(ドイツではディアコニー関連の施設の方が、典礼的な傾向が強い所が圧倒的に多いらしい。)
また四旬節の間は、日曜の礼拝に週替わりでゲスト説教者を呼んでその年のテーマ(ちなみにことしは"Visionen fuer die Kirche"「教会の幻/ヴィジョン」)に従った説教をしてもらい、礼拝後に説教者を交えて、感想を語り合ったりするのが恒例になっています。
そして木曜日には足も洗うし、Osternacht(こちらはなぜか土曜日の夜9時半から)では洗礼式はやるし、日曜の礼拝はなんと「ドイツ・ミサ(Deutsche Messe)」です。
こういう伝統主義と敬虔主義、そして啓蒙主義が、四旬節〜イースターという季節を中心に交錯しているというのは、文化人類学的に見ても大変興味深いです。

ちなみに私個人は今年、日曜の村の教会での主日礼拝以外では、木曜の夕方にやはり村の教会の礼拝に出席しました。120〜130人ぐらいの出席だったのではないでしょうか。さすがに年齢的には比較的年配の方がたが多かったのですが、今時のドイツで、クリスマスでも無いのにこれだけの人数が平日の夜の礼拝に出席しているのは、この村が教会を中心として形成されてきており、村民にMissionswerk(海外宣教局)や神学校、ディアコニーの関係者が多いという特殊な背景は無縁ではないでしょう。
しかし、多くの信徒の奉仕によってはじめて、これだけの行事が支えられているのもまた事実です。そして、だからこそ今時のドイツとしては珍しいぐらい、子どもから若者、若い家族、中高年までが数多く集う場として、教会が機能しているのでしょう。

朝5時半から村の教会の方のOsternachtには、妻と上の二人の子どもが出席(僕は家で一番下の子どもと寝ながら留守番)。出席した二人の子どもの目当てはもちろんOsterfruehstueck。復活祭はおいしい。これが子ども達の偽らざる感想のようです。まぁそんなに間違ってないか(笑)。

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2007.02.17

Geschenkekorbでびっくり

なんだかんだで、私のドイツ滞在も2年半ほど、家族が合流してからそろそろ2年になろうとしております。
来たばかりの頃は、あらゆることでドイツと日本の文化の違いに驚いていたものですが、さすがにこのくらい過ぎてくると、それなりにドイツ人の発想にも慣れてきて、(自分が同じように考えたり・行動したりするかどうかは別として)もうそうそう驚かなくなってきます

でも先日、久々に驚きました。

僕が、そして妻が生きてきた世界の根幹が揺さぶられたような気がしました(笑)。

きっかけは、一番上の息子がクラスの女の子からもらってきた、一通のお誕生日会の招待状でした。

ちなみにドイツでは(あるいは中央ヨーロッパ圏では?)、子どもから大人まで共通して、お誕生日会というのは「お誕生日の人がホストとなって、お友達をゲストに招く」のだそうです。
日本というか(多分)東アジア文化圏だったら、(幼稚園児とかならいざ知らず)普通、お誕生日の人がゲストだよねぇ、と思うわけですが、ドイツ人(あるいは中央ヨーロッパ文化圏の人)は徹底した個人主義なので、多分「誰かにお祝いしてもらう」ことよりも、「自分がやりたいようにやる」ことに、より高い優先順位を置いているからなのでしょう。
まぁ、そんなことに驚いていたのは2年前の話。

で、今回、息子がもらってきた招待状を読んで、日時などの確認をしていると、お母さんの手になるらしい、気になる一文が・・・。

「Geschenkekorbは、Kakaduに置いてあります。開店時間は電話帳を見て下さい。『大きな』プレゼントの場合は、割り勘にしてください。」

Geschenkekorbは直訳すると「プレゼント籠」。つまり誕生日のプレゼントを入れる籠のことです。それは、まぁいい。過去の経験から言っても、子どもの誕生日に持ってきてもらったプレゼントを、一旦籠の中に入れておいて、後でみんなの前で一つずつ開けていくのは、お誕生日会の、いわゆる「お約束」だからです。
問題は「Kakaduにあります」のところ。
Kakaduというのは、意味としてはオウムのことなのですが、実はうちの村には「Kakadu」という名前の学用品・子ども用品・おもちゃ店があって、「開店時間うんぬん」と書いてある以上、明らかにこれはそのお店のことを指しているからです。

ここまで読んだところで、妻と僕が顔を見合わせる。お互いの顔に

何でプレゼント籠がお店に置いてあるの?

という疑問が浮かび上がっているのがわかる。

そこで、息子が先週呼ばれた、別の女の子のお誕生日会の時の招待状を見てみる。
良く読み直すと、そこには「私のGeschenkekorbはFundgrubeにあります」とある。ちなみにFundgrubeというのは、「宝物庫」の意。

・・・あれ?このフレーズはたしか、去年の秋、息子のクラスメートで僕の指導教授の末娘でもある女の子のお誕生会の招待状にも書いてあった気がする・・・。
あのときは、結局その日にBraunschweig領邦教会日本協働委員会20周年記念会があって、家族で出かけたので、息子は「残念ながら行けません」とお返事したのでした。
その時は、「『プレゼント籠は宝物庫にあります』・・・あそこのうちでは、地下倉庫のことをそんな風に呼ぶんだろうか・・・まぁ家が広いからね(笑)。プレゼントを持って行ったら、そこに入れてくれってことかな」程度に考えて、読み飛ばしていたのでした。
そして、前回もその流れで、きっと何か、そういう言い回しがあるのでしょうぐらいで、全然気にせず読み飛ばし。

ところが、ここにきて「Kakaduにあります」という文言に出会うことで、私たちの認識が全く間違っていたこと気付く。
・・・ひょっとして、宝物庫Fundgrubeという名前のお店が、この村にあるのか?
ということに気づき、慌てて電話帳を探してみる。・・・あった。
ありましたよありました。Fundgrubeという名前の文房具・ファンシーグッズのお店が。
正確に言うと、狭い村ですから、そのお店のことはもちろん知ってたんです。ただ、お店の名前がFungrubeなんていうなんて知らなかっただけなんです。そうかー、あそこは宝物庫Fundgrubeという名前のお店なのかー・・・。
え?・・・っていうことは・・・前後の文脈から考えて・・・これは明らかに・・・

お店に、自分用のプレゼントの籠が置いてあるってことぢゃないですか?。

え?なんで、お店にプレゼント籠がおいてあるの?その店で買えってこと?で、そこに入れろってこと?
どうやら「小学生が自分の誕生日の招待状に、プレゼントを買う店を指定して、ゲストに渡している」ということらしいということにうすうす気が付くが、既に事態は妻と僕の文化的文脈における理解の許容範囲を明らかに超えてしまっている。
目の前の現象を知覚してはいるが、それらが結びつく必然性を認識出来ていない。
ほとんどモノリスを前にした原人のような、半パニック(?)状態。

とにかく明日、息子と一緒に指定の店に行ってみようということで、とりあえず価値崩壊の危機を回避。(ちなみに、その店は基本的に月〜金のみの営業で、しかも午後は月水金しか営業していない。でもこういうパターンの営業はドイツでは普通。)

そして翌日の水曜日。
息子は午後に帰ってくるが、好奇心を抑えられず、午前中のうちに妻が指定のお店へ行ってみることに。

そこでついに明かされる衝撃の真実とは!来週に続く!(<-嘘・笑)

Cimg0770 お店に入って、とりあえずまず「***さんのGeschenkekorbっていうのは・・・?」と訊ねると、お店の話し好きで気さくなおばさんが「はいはい、これこれ」と教えてくれる。
・・・と、そこには既に品物が・・・。あれ、何も包装されてませんよ。・・・って、これは・・・つまり・・・、この籠の中にあるものを買えって事ですね。
どうも招待した人数に併せて、適当な数が籠の中に入れてあるらしい。
・・・ええっつ!!!つまりそれって、自分の誕生日プレゼントに欲しいものを、あらかじめ選んで置いてあって、その中から選んで買えってことなのね。

驚きながら妻が帰宅して、上のような詳細を聞く。
このあたりで、まるで地球温暖化で崩壊する南極の氷山のように、僕が立脚している「贈与」概念が根底から崩れていく、その音が聞こえるような気がしてくる。

それは「プレゼント」なんですか。どーですか。
レヴィ=ストロースは、贈与とは人間の根源的な欲求であると言っていますが(確か)、これはその範疇の中に入るのですか。

いやね、たしかに「お誕生日に何欲しい?」て訊いて、「じゃぁティファニーのオープンハート」とかいう会話が、まだ私にも若気が生えていたバブルの頃のアーカイヴとして、私ごときの記憶にも恥ずかしながら留まってはおりますが、ひょっとしてこれは、あの頃に生み出された数々の怨念が時空を超えて今ここに出現しているのですか。

いや、百歩、いや千歩譲って、お誕生日に欲しいものは何?って訊くことは確かにありますよ。でもそれって、その会話そのものが大事でしょう、というか、そういう会話をするために、プレゼントという機会が利用されるわけぢゃないですか。

要するに、僕の理解では、プレゼント(贈与)は、あくまでも贈与主が主体的な役割を果たすモノだったわけですよ。

でも、これはもう、受領者がばりばり主体的です。「何が欲しい?」なんてジャブを出すスキさえありません。
そりゃそうですよ。だって受領者がホストですからね。ここは私のホームなんだから好きなようにやらせてもらいますわってもんですよ。
いわば、ゲストとして招待状をもらった時点で、贈与主となるわけですが、ジャブを出す間も無く、その瞬間に同時に既に「私のGeschenkekorbは**にあります」という攻撃がストレートで来てます。相手に主体的な反撃の余地を一切与えない程の完璧な攻撃です。

いやね、そりゃ変なモノもらうよりも、確かに合理的ですよ。
たしかにAmazoneなんかだと、「ウィッシュリスト」てのがありますからね。
まぁそれがそうなんだと考えれば、確かに辻褄があいます。ウィッシュリストってそういうことだったのか。
でもどうですか、ドイツでは「相手が喜ぶ贈り物を選ぶ」っていうのは、人間関係の構築のための重要な練習の一つじゃないのですか。違いますかそうですか。

しかしこれはもう、「贈って嬉しいものは、贈られても嬉しい」なんていうお中元・お歳暮のCMのキャッチコピーが、「自衛隊のイラク派兵は憲法の範囲内です」と同じぐらい無意味で薄っぺらい、単なる音声の羅列に思えてきました

・・・いやー、びっくりしたなぁもう。

子どものおかげで、未知の世界が開かれていくことをしみじみと感じたのでした。

なお、息子が学校から帰ってきてから、妻が再度一緒にお店へ。息子は指定の籠の中からお弁当箱を選んで買って来ました。

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2007.02.10

ドイツの田舎で小学校の子どもの入学準備のための健康診断を予約する

ドイツでは学校の年度(Schuljahr)は基本的に秋から始まります。
「基本的に」というのは、現代ドイツは何でも「一斉」が嫌いというか(笑)、要するに連邦制なので、何月から始まるかは各州によって全部異なっていて、Nordrhein-westfalenとかだと8月の初旬から始まるからです。でもドイツの8月は、日本の感覚から言うともう秋といっても間違いではないかも。
私たちが住むバイエルンは、今年は9月11日から新学期となります。

ちなみに、学校の休みは、キリスト教の移動祝日(復活祭、聖霊降臨祭)と連動する関係で、毎年変更があります。
そしてドイツ人は何でも早くから予定を立てないと気が済まないので(笑)、2011年までの学校の休みの日のカレンダーというのがもう作られていてここで見ることができます。
今(2007年)から2011年の休暇の予定を知って何の意味が?と、日本だったら考えるわけですが、休暇(Urlaub)の合間に仕事してるとか、休暇のワールドカップがあったら文句なしで優勝だと言われているドイツ人にとっては、5年後の休暇の予定が気になるなんてのは実は普通

どのぐらい普通かというと、日本で、働き初めて1年目は休暇なんてとれるわけないのはあたりまえっていうのと同じぐらい普通です。
それでも、ドイツ人は「勤勉である」と自認しているわけで、いかに「勤勉さ」というものの中身が恣意的であるかということがよく分かります。

我が家では、この9月からは一番上の息子に加えて、真ん中の娘も小学校に行くことになります。
何でも「一斉」が嫌いな(笑)ドイツでは、小学校に入学するタイミングも、やはりかなりの自由度があります。
そもそも州によって制度が若干異なるのですが、大体おおまかに言うと、その年の6月までに6才になった子どもは、その年の新学期から入学する、ということになってます。
が、希望があれば、その年に6才になる子どもは、発育状態によっては入学することも出来るため、5才の段階で入学する子も
ついでに、発育状態に応じて次の年まで遅らせることも出来るので、同じ一年生のクラスに、5〜7才までの年齢の開きのある子どもがいることになります。

幼稚園の先生に「日本では、4月1日の時点で既に満6才である子どもが、(基本的に)全国どこでも4月から全員学校に行きます。普通は選択肢はありません。」と言うと、「え〜、自分の子どものことなのに、親は自分で決定できないんですかー!」だって。

なにしろドイツでは「あなたの好きにしたらいい」というのは、相手に対する接待の心を示す表現ですからね。

うちの真ん中の娘は2000年8月生まれなので、6月の時点で満6才ということは、2007年からの入学なのね、と思っていたら、昨年幼稚園の先生から「2006年からバイエルンの法律が変わって、8月末日の時点で満6才の子どもが、その年の新学期から入学することになりましたけど、どうしますか?」と相談が。

ちなみにその場合、日本での入学よりも半年早くなるわけですね。しかも今年からの変更なので、もし入学するともう既に7才になっている子どもも同じクラスにいることになります。
で、幼稚園の先生と相談したところ、「知能的には全く何の問題もないが、多分体力的についていけなくて、集中力が続かないと思う」とのこと。
たしかに、うちの娘は日本ですら小さい方な上に、へたするとそもそも1才以上の年齢差があるのであたりまえなのだが、その年に入学するドイツの子どもと比べると、頭一つ分では済まないぐらいの体格差がある。う〜ん、難しいね。
本人とも相談した後で、結局小学校の校長先生と面接して、2007年の新学期からの入学としてもらうことに。

実はそんなやりとりがあったのが、昨年2006年の4月の初旬でした。9月からの入学なんですが、入学手続きは4月にしないといけないらしい。日本でもそれぐらい前から手続きしてたかな・・・。4月3日あたりに入学だとして、逆算すると11月の初旬か10月末ぐらい。やっぱりちょっと早いね。普通、そういう手続きは、年明け早々か、早くてもいいとこ12月中ですよね。

「お入学」は、ドイツでは日本以上に大きなイベントなので、当然子ども達は入学に向けて気持ちが盛り上がってくる。で、街のデパート何かでは、既に9月の入学に向けての学用品がディスプレイされています。
・・・つってまだ2月ですよ。あーた。日本みたいな4月じゃなくて9月に入学式ですよ。
でも、ドイツ人は「時間に追われて何かをする」ということを蛇蝎のごとく忌み嫌うので(笑)、半年前からいろいろ準備を始めるのが、ドイツでは普通日本だったら、あんまり早くから準備を始めると、途中で中だるみというか息切れしてしまうものですが、なにしろドイツ人は勤勉ですから、どんなに早く初めても最後までスタミナが持続するのです(笑)。

実は去年は、全然そんなつもりなかった(というかそんな法律の変更は自分たちには関係ないと思っていた)のですが、4月の手続きの直前になって、一応手続きしにいかなくてはならないと幼稚園の先生から指摘されたため、健康診断書を用意していませんでした。
ドイツで生まれた子どもだと、ドイツの母子手帳みたいなものがあって、定期的に検診を受けてそこに記入していくので特別な診断書はいらないのですが、そもそも数年しか滞在しないウチの子どものような場合はそんなもん必要無いので(日本の母子手帳ならあるけど)、場合によっては診断書を書いてもらう必要があるらしい。

今日(2月8日)、幼稚園の先生に今年の入学手続きの日程を確認したら、やはり4月の初旬とのことで、健康診断書を書いてもらって提出する必要があるとのこと。

ドイツでは何でも日本の10倍の時間が必要なので、何でも早めにするのにこしたことは無いというわけで、幼稚園からの帰りにその足で、幼稚園のすぐ近くの小児科によって、健康診断の予約をしにいくことする。

ちなみに今時のドイツでは何事にもまず予約というか、まず「日時(Termin)を決める」のが普通。Terminの連続によって生活時間が構造化されていると言ってもよいぐらいです(<−何のこっちゃ・笑)。子ども同士が遊びに行ったり来たりする時も、まず親同士が「日時を取り決める(Termin ausmachen)」のが普通。うちでは良く冗談で、「ドイツ人は、まずTermin決めるためのTerminとらなくちゃならないから」とか言ってます。あるドイツ人の年配牧師は、「今時のドイツ人にとって、予定帳(Termin Kalender)は聖書よりも大事になっちゃったよ・・・」と嘆いていました。

で、小児科に寄って、受付で小学校入学のための健康診断を受けたいので予約したい旨を伝えると「急ぎですか?」と訊いてくるので、「えー、3月の末まででいいんですが」と半ば冗談で(?)言う。受付事務の人は、しばらく予約表を調べた後で、「じゃぁ3月12日で」。

えぇぇぇっっ、冗談じゃなくて本当に3月ですか。今日は2月8日ですよ。それって1ヶ月以上先ぢゃぁないですか。

正直言って、2週間後ぐらいになることは予想していたんだけれど、まさか1ヶ月後になるとは思わなかったなぁ。まぁとにかく4月の初旬に間に合えばいいので、構わないのですが、それにしてもびっくりしたなぁーもう。

時間感覚というのが、いかに文化によって相対的であるかということを、またもや思い知らされたのでした。

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2007.01.21

ドイツの田舎で歯科救急にかかる

今日は、生まれて初めて「歯科救急」というのに行きました。

毎週土曜日は、我が家は一家揃って40km離れたニュルンベルク(Nuernberg)の日本語補習校に出かける日。子どもが勉強している間に親は米買ったり、豆腐買ったりと、村では買えないような食材を確保。
そういうわけで土曜日はそれなりに疲れる日でもあります。
今年は、回り持ちのいわゆるPTAみたいなのの担当なので、子どもの授業終了後に年度末・新年度に向けての打ち合わせなどをして、そうこうしているうちに午後になり帰宅。

今日は天気も悪く(今年は暖冬で雪も降らずに、風雨ばっかり)、子ども達は家の中で日本から送ってもらったTV番組のDVDを見たりして過ごすけれども、それなりに疲れているせいか、ケンカも多い。

夕方になり、食事の時間が近づいてきたので、散らかしていたカバン類とかをそろそろ片づけることになるが、例によって揉み合いつつ片づけが進む。

そういうしている内に、突然一番下のが泣き出す。どうも姉ちゃんが頭を上げた拍子に、頭が顎にあたったらしい。さらに、何か口の中に違和感があったらしく、鏡を見に行って帰ってきて、大声で「何か変になった〜」と泣きながら母親に訴えにいく。息子の口の中を見た妻が慌てて僕を呼ぶので見に行くと、下の左前歯の表面下半分が薄く剥がれてしまっており、さらに下の方はまだ歯肉の中に埋まっているので、歯が前後に裂けたようになっている。血は出ていないし、とりあえず痛いわけではないらしい。剥がれた方はぐらぐらだが、元々の歯の方は歯並びも普通だし、ぐらついてもいない。

一番上の息子が、やっと今頃騒ぎに気付いて「なになに?なにがおこったの?」とやって来るが、母親から「見せもんじゃないから」と一喝されて、ふくれる。
真ん中の娘は、自分が怒られるのではないかと警戒、さかんに自己責任であることをアピール(<−このあたりが非常にドイツ的になっている・笑)。

とりあえず、血も出ていないし痛がってもいないし、ドイツは土日には身動きがとれないので、月曜の朝一番で歯医者に連れて行くことにしようと、妻と相談。夕食になる。

ところが夕食が始まると、当の息子が「うまく食べられない」と訴え始める。「少しだと食べられるけど、沢山だと痛い」らしい。どうも、食べようと顎を嚙み合わせると、上の前歯が剥がれたところに当たるので、痛いらしい。う〜ん困ったな〜。この夕食を入れて、月曜日の朝まであと5回も食事があるしな・・・、と考えていると、妻は既にこの時点でかなり心配になっている。

現在住んでいる村は、各週で村の諸連絡(ゴミの日とか)のための広報を発行しており、そこには時間外の薬局当番(Apothekendienst)と土日の救急歯科当番(Zahnaerztlicher Notfalldienst)の一覧が掲載されている(ちなみに通常の医者の救急当番については、診療科別に別途電話サービスに問い合わせることになっているので載っていない)。

「救急に連れて行った方がいいかな」と妻。「歯が折れたって何て言えばいいのかな?abgebrochen?」と妻が言うと、横で当の息子が「Ja.」と言う。はいはい。そうですか、そうですか。
一応、この週末の担当医を確認してみる。担当は、自動車で10分ぐらいのLichtinauという2つ隣の村の歯科になっている。そんな村の歯科医なんて当然行ったことなんか無い。「でも今日はLichtnauだよ・・・」と僕。う〜ん、別に通常は痛がってないし、月曜日までなんとかだましだまし持たせられないかな・・・と思っていると妻が「今なら間に合うわね」と言うので、もう一度広報を見ると、週末の診察時間は、朝10-12時、夜18-19時と書いてある。時計を見ると18時半。妻を見ると、もう目は完全に「連・れ・て・行・け」と言っている。
「じゃあ、電話してみましょう。」と、頭の中で想定問答をまず反復、そして電話。

診「Zahnarzts Praxis, ****. Gruess Gott」(****歯科診療所です。こんにちは。)
 僕「Gruess Gott. Ich bin Lee, jetzt rufe ich aus Neuendettelsau an. Ich moechte wegen Praxis fragen.」(こんにちは。私はLeeです。今Neuendettelsauから電話してます。診察について伺いたいのですが。)
診「Etwas Schmerz?」(痛みですか?)
 僕「Nein... Mein 4 jaehriger Sohn hat sein Zahn abgebrochen.」(いいえ。僕の4才の息子が歯を折りました。)
診「Oh, man...」(あら、なんてこと・・・)
 僕「Schmerz ist nicht so stark. Aber, wenn er beisst, hat er etwas Schmerz.」(痛みはそんなに強くないです。でも噛むといくらか痛いです。)
診「Kennen Sie unsere Praxis? Sind Sie schon einmal zu uns gekommen?」(診療所はご存じですか?以前にも来たことありますか?)
 僕「Nein... Aber I bin einmal in Lichtnau durchgefahren. Ich weiss, wo es Einkaufzentrum EDEKA gibt.」(無いです・・・。でも、一度Lichtnauは通ったことあります。EDEKAスーパーの場所は分かります。)
診「So, Fahren Sie aus Neuendettelsau nach Lichtnau.Vor EDEKA-Markt,  biegen Sie v nach links ab, und fahren Sie ueber die Bruecke. Dann, fahren Sie geradeaus. An Friedhof biegen Sie lnks ab. Und an der zweiten Strasse  biegen Sie  linken ab. Dann an rechte seite unsere liegt Praxis.」(NeuendettelsauからLichtnauに向かって、EDEKAスーパーの前を左に曲がって下さい。橋を渡って、そのまま進んで、墓地のところを左に曲がって、2番目の道を左に曲がって下さい。そうすると右側に診療所があります。)
 僕「......Ja. Ungefaehr nach 30 minuten...(・・・・分かりました・・・大体30分後に・・・)
診「Nach Sprechstunde gehen wir weg. Bitte kommen Sie so schnell moeglich.」(診察時間が終わったら私たちは帰ります。出来るだけ早く来て下さい。」
 僕「.....Ja. Danke, Aufwiederhoeren.」(・・・・分かりました・・・・ありがとうございました。また後で。)

・・・・と記憶は最早うろ覚えだが、大体こんな感じの、まるでゲーテ・インスティテュートの語学学校で練習したまんまのような会話をなんとかようようこなす。でもドイツ語で、しかも電話で道順を聞くのはまだすごく難しい。自信が無いなりに、とりあえず左・左・左と行けばいいのね、とメモを手にして時計を見る。18時50分。ドイツでは、仕事終わる時は早いから、慌てて子どもを自動車に乗せて出かける。子ども達の保険は、日本の社会保険の海外療養制度を利用することになるので、凄く面倒くさい申請用の書類も持って行く。

さすがにもう辺りは真っ暗。田舎道なので道路灯も無い中をひた走る。すぐにLichtnauに到着、問題のEDEKAスーパーの前の道を左に曲がり橋を渡る。ここまではスムーズ。Lichtnauは古城街道沿いの古い街なので、橋を渡ると古い街の方に近づいていくことになる。ヨーロッパの古い街は、中心の古い街の外周をぐるっと道が取り囲んでいる。言われたとおり、外周に沿って道なりに進んだ後、最初の大きめの道を左に入る。あれ?村の外に出ちゃった。

仕方がないので引き返すが、それらしい道は左側には見あたらない。橋の所まで戻ってもう一度やりなおす。もっと小さい道を左に入るのかも知れない。橋を渡ってすぐのところを左に入ると、教会があった。教会があればFriedhof墓地もあるかな?ということはこの辺りだろうか?たまたま教会の方から出てきた人がいたので、「FinkenStrasseの歯医者を捜しています。Ich suche den Zahnarzt an Finken Strasse.」と訊いてみる。
「そこの道をそのまま行って、墓地の所を左に行って、それからまた左だよ」と親切に教えてくれる。・・・ん?それって僕が最初に電話で聞いたのと同じだよな・・・。とりあえずもう一度言われたとおり行ってみるが、墓地が見つからない。仕方がないので、また別の小路を左に入ってみると、旧集落の市場広場だった。ここか?でもそれらしいところはない。仕方がないので、そのあたりを通りかかった人をむりやり捕まえて訊いてみるが、そんな通りは知らないと言う。墓地の近くだそうですと訊くと、あー、それならば、右に行って左だよ、と言う。え?右に行くって、今来た道を戻る戻るってことだけど、え?それを左に曲がるってことは、僕はどっかで右に曲がらないといけなかったってこと?そんなこと誰も言ってなかったよ?

驚きながら来た道を戻り、言われた道を左折。ここに来て道を間違えた理由がわかる。実はその道は、古い街に沿ってカーブしていて、そのカーブの道がいわば「道なり」というかいわゆる優先道路になっている。そしてそのカーブのところには、僕がさっき来た道から「まっすぐ」に続いている道がある。あっつまり「そのまま(geradeaus)進む」っていうのは、道なりにそのまま進むんじゃなくて、道なりにカーブしないで「まっすぐ」進めってことだったのね!ということにやっと気付く。勉強になるなぁ・・・。
ほどなく墓地を発見。ようやく診療所を見つける。時は19時20分。子どもを自動車から降ろして慌てて診療所へ。

どうやら先客あったらしく、診療所はまだ閉まっていなかった。ラッキー!
受付で剥がれかけている歯を見せて、「娘の頭とぶつかって、歯が折れました。Mit dem Kopf seiner Schwester hat er gestossen. Danach hat seiner Zahn angebrochen.」と身も蓋もない説明をする。が、別に身も蓋もない説明で問題なかったらしい。

5分ほど待った後、診察室へ。診察椅子に寝かされる。怖がるかと思ったが、一番下の息子は、こう言うところでは結構キモが座っていて、全然動じていない。診察用具の置いてある台の上に手を伸ばして、口腔鏡をとろうとする。僕が「ダメNein!」と言うと、先生も大変子ども扱いの上手い人で、「あ、これ持ってて良いよ」と持たせておく。確かに、何か一つ持ってれば、他の物には手を出さないですからね。危なくない物を持たせておく方が安全です。

先生に、もう一度身も蓋もない状況を説明。ちらっと見てみて、「うん、こういうのよくありますよ」との事。どうせ乳歯だから、1年か2年で生え替わるし、とりあえず、剥がれた部分を取るだけとって、あとは何もしない方が良いだろうということ。何か処置をしようとすると、歯肉の奥の方までやらないといけないのでかえって大変だし、どうしても、飲み食いした時に凍みて痛いというのなら、抜いちゃうしかない、とのこと。

歯茎の表面に麻酔を塗って、剥がれた部分をピンセットでぴっと引き抜く。血がちょっと出るが、まぁ歯が抜けた時よりも少ない程度。息子は意外と神妙におとなしくしている。以前、娘を歯医者に連れて行った時の方が、怖がって大変でした。
血止めのためのガーゼを下唇と歯茎の間に挟んで、あっというまに処置は終わり。
先生が息子に、「日本語でお別れの挨拶はなんていうの」と訊ねると、息子は「バイバイ」とのたまった。一同大笑い。

休日診療だったこともあり、診察費は、必要書類と一緒に後日郵送で請求書を送ってもらうことになる。加入している保険のタイプにもよるが、ドイツではこういうタイプの支払い方法は結構多いらしい。
息子は、子ども用のおまけに針金入りの小さい馬のゴム人形をもらってご満悦。

とりあえず無事に片が付いて、ほっとして帰宅。家では妻と兄姉が心配しながら待っていた。
僕が経過を報告している間、当の息子はもらったおまけを兄姉に見せびらかすのに忙しくしていた。
口の中のガーゼを出させて、うがいをさせてみる。とりあえず凍みもしないらしい。それなら問題なし。よかったよかった。

しかし日本でも行ったことの無い、歯科救急にドイツで行くことになろうとは・・・。
子どもおかげで経験が拡がります・・・。

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2006.12.21

トルコ米さいこー

ドイツで米を買うのは結構面倒くさい。
あたりまえだが米屋なんてない(田舎だと粉屋っていうか、粉ひき業とかはあるけど)。

アジア商店に行けば買えるのですが、うちの村にはそんなもんねぇ、というわけで直近でも16km離れたAnsbachまで自動車で買いに行かなければなりません。今は車があるからいいけど、自動車を手に入れる前は、リュック背負って米買いに行ってました。完全に戦後の「買い出し」である(キートン山田調)

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一番安いもの(「大豊Daipoong」とかいう銘柄がついていた)だと、10kgで15〜18EUR(2000〜2400円ぐらい)とかぐらいでまぁなんとか買えますが、味の方はイマイチ。アジア商店で原産地を訊いてみましたがわからないとのこと。


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原産地としてはカリフォルニア産のものが大変おいしいのですが、最高級品の「錦Nishiki」とかになると10kgで30〜40EUR(4500〜6000円ぐらい)とかになってしまい、つましい留学生家庭にはとても手が出ません。
うちの村からAnsbachとの間にあるKatterbachという村は、米軍兵舎があり、そこの売店だと、カリフォルニア米がアメリカ国内の価格で販売されているため、10kgで10EUR (1500円ぐらい)で買えるそうなのですが、アメリカのパスポートが無いと買われへんのですわ(以前に在米韓国人2世の知り合いが買ってきてくれた)。

Hs1022 その中間ぐらいのものとしては、「日の出(なぜか"Shinode"とルビがふってある。なんで江戸弁?)」が10kgで20EUR(3000円ぐらい)前後でした。

ちなみに、アジア料理、特に寿司がドイツで流行って以来、以前よりもいろいろな銘柄が安く手に入りやすくなったそうです。

もちろん、日本食材店(ご参考:フランクフルトのひまわりマート)に注文して発送してもらうという方法が最も簡単なのですが、一番リーズナブルなものでも9kg入りで27.5EURと、当然割高に。企業の海外赴任家庭ならいざしらず、奨学金で生活している身ではとても賄えません・・・。

一応村のスーパーでも、500g単位とか1kg単位とかで箱とか袋に入った米は、そこそこ安く売られています。ただし、ドイツではSpitzen-Langkornと呼ばれる細長いタイプ(いわゆるインディカ種)が主流。まぁ世界の米生産料の80%はインディカ種なんだからあたりまえか。
隣の家に住んでるインドネシアからの留学生仲間は主にこれを利用しています。カレーとか、チャーハンとかには大変良く合うので、もちろんそれはそれでおいしいのですが、当然料理を選びます。お客さん用に手巻き寿司をしたり、日本語補習校に持って行く「おにぎり」とかには向きません。

やはりジャポニカ米(ドイツでは、Rundkorn Reisという)が食べたいと思って探すと、一応、見慣れた短めで丸っこいタイプのものもスーパーで売られています。ただし製菓材料として。ドイツではMilchreisといって、これを牛乳と砂糖でぐつぐつにて「ミルク粥」にしたものに、 Roter Gruetze と呼ばれるベリー系果実の砂糖煮みたいなものとかシナモンとかをかけて食べます。(結構ポピュラーなおやつらしく、カップのプリントかヨーグルトとかと同じような感じで、出来合いのものも普通に販売されています。)ジャポニカ種についてはドイツではこの調理法が最も一般的であるため、ジャポニカ種(Rundkorn Reis)のことを、Milchreisということもままあります。

自動車で街まででかけて割高の米を買うのもなんだかばかばかしくなってきたので、しばらくは、村のスーパーでこのタイプの米を買うことに。500gもしくは1kgの箱入りが普通で、大概500gで30Ct(45円ぐらい)。たしかにこの値段なら、日本で買うよりもはるかに安いです。とりあえず1ダース分を「ケース買い」。ロングライフミルクとか缶詰とか小麦粉とかをケース買いするのは、ドイツでは結構よく見られる普通の光景なのですが、Milchreisを箱買いする人は、うちの村では他にはいませんでした(笑)
・・・しかし、所詮ミルク粥用なので、炊飯器で日本食用として炊くと、ものすごく割れやすく、結構ぽろぽろします。まぁ要するに、前提とされる調理法が全く違うので、どろどろに甘く煮るためのものを、炊飯器で炊いてふりかけかけたり、おにぎりにして海苔まいたりして食べたからって、おいしくないのはあたりまえなわけですが。そういうわけで、あー安くて、そんでもって割れたりぽろぽろしない米はどこかで売ってないものか・・・としばらく思っていたのでした・・・

そんな中、子ども達が毎週土曜日に通っている、ニュルンベルク日本語補習校が、諸般の都合で校舎を移転。1992年の開校以来、これまで長らくニュルンベルク南部のメッセとサッカースタジアムのすぐそばの公立小学校の校舎を借りていたのが、2006年9月から、ニュルンベルク空港にほど近い、ニュルンベルク東北部のシュタイナー学校の校舎を借りることに。
田舎の村に住んでいる者としては、週に一回街まで出る貴重なタイミングでもあるので、普段村内では手に入りにくいものを買うのが、子ども達が日本語補習校に言っている間の土曜日の午前中の日課となっています。もとの校舎の近くには、「Franken Center」という比較的大きなショッピング・モールがあり、衣料品とか生活雑貨とかを調達するのに重宝していました。しかたがないので、新しい校舎の周辺の買い物スポットを物色。好都合にも比較的近くに「Mercado」という適当なショッピング・モールがあることが判明。子どもが勉強している間に買い物に。
すると、その近くにはZARA-Marktと言う名前の、トルコ系の商品を扱うスーパーが(ちなみに前の校舎の近くにはロシア系の商品を扱うスーパーがあって結構リーズナブルだった)。ためしに覗いてみると、ドイツの普通のスーパーよりも緑黄色野菜が豊富で、しかも値段もなかなか安い。香辛料もリーズナブルな値段で種類豊富に取りそろえられていて、なかなか魅力的。
ちなみに、ドイツのスーパーで売られている香辛料は、香りは良いのですが、ドイツ人の志向に合わせて辛みが弱すぎ。うちの息子は、黄色いねり辛子を、変わった臭いの苦いマヨネーズだと思ったらしい。

ドイツのスーパーでは、ジャガイモやタマネギはいろいろな種類が安く売られているのですが、緑黄色野菜のヴァリエーションはあまり多くなく、あんまりなじみのないもの(例えば根セロリとか)も多いのです。

その他、例えば普通のドイツのスーパーで売ってるキャベツ[Weisskohl]は、見た目は普通のキャベツですが、ザウアークラウト(酢漬けキャベツ)とか、煮込み料理とかに使うことを前提にしているためか、(千切りにしてると、手が腱鞘炎になりそうになるぐらい)ものすごく固くて、炒め物とか、お好み焼きとかにはつかえないのです。日本で食べてるぐらいの「柔らかい」キャベツは、生食用(サラダ用)として別品種となっていて、原種(Urtype)というものか、Spitzekohl(=「とんがりキャベツ」)というものを使うことになります。しかしこれが、季節ものらしく、いつでも売っているというわけではありません(固い方のWeisskohlはいつでも売っています)。あー、あと白菜はChinakohlと言って、結構いつでもどこでも買えるので、キャベツ代わりに使うこともよくあります。

それに比べると、さすがは地中海性気候で、なおかつ最もヨーロッパに近いアジア(笑)、トルコ系のスーパーは、意外となじみのある野菜が各種並んでいる!キャベツも「原種」が山盛りで売っている!というわけで、ほくほくしているとさらにおどろくべきものが・・・

米です。いろんな種類の米が5kg袋入りで売ってます。袋にはトルコ語で「Tosya Pirinc」(最後のcは、本当は下にヒゲがついているやつ)と書いてあります。トルコ語以外にドイツ語・英語とか各国語で書かれているのをみると、どうやら、Tosyaというのが、長粒種というような意味で、Pirincというのが米のことらしい。でもTosyaと書いてあるものの中にも、長いの種類のものもあれば、丸っこいのもあります。丸っこいのは、はっきり言って、見た目はジャポニカ米です。気になるお値段も5kgで4.5EUR(=700円ぐらい)と、なかなかお買い得。これはとにかく試してみるしかない!と5kgを1袋購入。
Cimg0281 帰って炊飯器で炊いて食べてみると・・・うまいっす。一体トルコではどういう調理法をしているのかは不明ながら、とにかく炊飯器で炊いて食べるのにも充分いけることが判明。まぁたしかに古米っぽいけど、ミルク粥用の米とは比較にならないほどうまいっす。値段的には、たしかにミルク粥用の米の方が3〜4割ほど安いわけですが、味の違いはこの価格差を補ってあまりあります!と家族一同大興奮。しかも通常のアジア商店で「寿司用の米」として売られている、10kg20EUR前後のものと味に遜色なし。米の袋に「Tosya」とあることから、妻は「やっぱりトシヤさんね」とか言い出して、「うちじゃぁ米はトルコ米よ!」「トルコ米さいこー」ということに。
そういうわけで、子ども達が日本語補習校で勉強している間に、トルコ系スーパーで米を買うというのが毎週土曜日の日課となったのでした。

Cimg0282 でも実はこの米、原産地はトルコじゃなくて、イタリアなんです(多分、パエリヤとかリゾットとかのために使われているのでしょう)。輸入・販売元がトルコ系の企業らしいというだけで(しかもそもそも所在地はドイツにある)、袋がトルコ語でプリントされているっていうだけなんです。だからほんとはトルコ米じゃなくてイタリア米なんです。

一度誤解が定着すると、それを変えるのは大変難しい、というのが今回の教訓でした・・・。

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2006.04.29

ケルン/西ドイツにいきました(4)

そして水曜日、やや遠回りになるのですが、ライン河沿いを上って、ライン河畔の景色を楽しみつつ帰ることに。関係ないのですが、ドイツは南の方が標高高いため、ライン川も南の国境から北に向かって流れています。だから、南下が川上りというややこしいことに。

船の行き来が現在も多いライン川は橋が少ないので有名で、おかげでモーゼル川との合流地点であるKoblenzまでは結構道が混むということで、その先までとりあえずAutobahnで南下、Boppardという街でライン河畔に出るつもりが途中ちょっと道を間違えて、Bad Salzig というもう一つ南側の街まで行ってしまうも、一応無事ライン河畔に出る。そこからは、おきまりの観光コース、ネズミ城、ネコ城、ローレライなどの有名観光名所を対岸に眺めつつ(もちろん僕は運転しているのでゆっくり見られないのですが)、Bingenでライン川を離れて再びAutobahnで一路次の目的地、Wormsへ。

Wormsは、1521年にこの地帝国議会が開かれ、既にローマ教会から破門を言い渡されていたルターがアハト刑(追放、と通常言われる)を宣告された場所で、時の神聖ローマ皇帝カール5世らを前に、自説の撤回を求められ、「我ここに立つ」と言った・・・と言われています。
ルターは、ここで刑を宣告された直後、支援者であるザクセン公フリードリッヒによってEisenachのWartburg城に匿われ(というか幽閉され)、そこで聖書のドイツ語訳を進めることになります。そういう意味では、宗教改革の大きな転機となった場所と言えるわけですね。現在では、(ルター派関連のみの)宗教改革者記念像が建てられています(ツヴィングリとかカルヴァンとかはいない・・・ー>逆にジュネーヴの宗教改革者記念像には、ルターは名前のみらしい・笑)。

ケルンのO師から、Worms大聖堂の裏の遊歩道に、「ここにルターが立った」というプレートが設置されている、と聞いたので、「お〜、それなら『僕もここに立つ』で写真とらなくちゃ」ということで立ち寄ることに。

街の中心部の地下駐車場にうまく車を止めることが出来たのはよかったのですが、折悪しくケルンから抜きつ抜かれつしてきた雨雲に再びここで追いつかれてしまい、外は小雨が降り始めました。しか〜し、将来のネタのため、写真だけは撮らなくては!と、子ども達を引き連れて、とりあえず宗教改革者記念像を撮る。
続いて小雨の中、教えられた大聖堂の裏の公園を、「我ここに立つ」のプレートを求めてうろうろするが見つからない。どうも大聖堂のすぐ脇に、今は美術館になっている庭園がもう一つあるらしいということがわかり、そちらへ。庭は出入り自由なので、その中へ入る。どうもそこが、どうやらここが帝国議会の会場となった司教館の大ホール跡で、一部を現在は市の美術館にしているらしい。だとすると、この庭のどこかにあるはずだ〜!家族で走り回ってプレートを探す。あった〜!「1521年、皇帝と帝国を前に、ここにルターが立った」とあります。どうやらここが大ホール跡で、このあたりに証言台があったらしい。お約束なので「僕もここに立つ」。一応家族で交代で、「私もここに立つ」「ゆうりくんも」「しーちゃんも」「けいぴーも」ここに立って撮影。

このあたりで雨が止んでくる。どうせならもうちょっと早く止んでくれれば良いのですが、天性の雨男なのでしかたがないっす

Wormsでトイレを済ませた後、帰りの車で食べるおやつ用のパン(ブレツェルという「め」の字型のパン)を買って、自動車に乗り込み、一路懐かしのFranken地方へ16時過ぎに出発。ところが給油ランプが・・・。Autobahnにたどり着くまでにTankstelle(ガソリンスタンド)を探すが、ルートが良すぎたというか、悪かったというか、Autobahnへのショットーカットだったらしく、あっというまにAutobahn入り口まで来てしまう。妻はAutobahnの中の給油所まで行けばいいと主張するが、小心者の上に運の悪さでは誰にもひけをとらないあっしとしては、なにがなんでも給油してからAutobahnに入ることを主張。しかたが無いので、そこを通り過ぎて給油所を探すこと約30分、家族の冷たい視線を受けつつをなんとかガソリンも持って(あと5リッターぐらいは残ってた)無事給油。
ここから家まではもう200km弱なので、1.5時間ぐらいで帰れるか?と予想するも、ところが30分ぐらい走ったところで、そこは案の定というか、天性の運の悪さを発揮して、ドイツではめずらしく途中のAutobahnが大渋滞。まぁ、A6(Autobahn6号線)は結構混みやすいらしいのですが。どうも、もともと工事のため3車線が2車線になっているところへ、イースターの連休を前にトラックが集中してまるまる1車線を占領、さらにその途中でタンクローリーが故障ということだったらしい。いやいや、渋滞に入るまでに給油所はありませんでした。先に入れておいて良かった(<−少女パレアナ)。
30kmあまりの距離をおよそ1.5時間ぐらいかけて通過(このあたりで子ども達はいい加減車に乗るのがいやになってきている)。いやいや、なんか、休日の夕方の中央高速上り線みたい・・・。既に時間は19時近くだが、もう夏時間なので、あたりはまだまだ明るい。ドイツのAutobahnは基本的に街頭が無い上に、何にもない畑とか森の中とかを通っているので、とっても暗い。おまけにみんな200km/hとかで走るので、そんな中、知らないルートを走るのは結構緊張します。そういうわけで、渋滞箇所をなんとか抜けた後は、日没(20時頃)までに、なじみの地域までたどり着くべく130km/hぐらいで走る。
関係ないですが、うちの車は、どうしても妻がオートマでないと運転できないというので、探し回って見つけた北米製輸入車なので、基本がマイル表示です(もちろん一応小さく時速表示も書いてある)。だから、最近ではつい「あ、今時速何キロ?」と聞かれてつい「え〜と、80キロ」とかいっちゃうんですが、実はマイル/時(mph)です。

ところで130km/h って言ったら日本では結構速い方ですが、ドイツのAutobahnではまぁ普通よりちょっと遅め、ぐらいっす。うちの車は幅もデカイし車重もけっこうあるので、一応100mph(=約160km/h)まで、安全を考えると、できれば90mph(=約145km/hぐらい)が推奨される最高速度なので、家族5人で荷物も載ってれば、まぁこんなもんです。でも、水色と白の格子柄のマークのバイエルンモーター工業とか、3本星マークとか、4つ輪マークとかが音もなく「しゅーっ」っと、時々はVWとか丸に稲妻が入ったヤツとかまでが「ぶ〜ん」と、次々抜かしてゆきます。みんな速いなぁ・・・。
まぁ、そんなこんなで、20時半ごろ無事帰宅。なかなか見所の多かった、西ドイツ・ラインラント堪能の旅でした。

(この項これでやっと終わり。)

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ケルン/西ドイツにいきました(3)

翌日火曜日は、O師に同乗いただいてまずKoeln大聖堂とその隣のローマ・ゲルマン博物館へ。普段田舎でしか運転していないので、久しぶりの100万都市での運転にかなりびびりつつ、大聖堂の地下にある駐車場に無事到着。
関係ないのですが、ヨーロッパの古い街はその城塞都市としての成り立ちからか、道が渦巻き状ないし同心円状の拡がっていて、しかも一方通行が多いので、道を分かっていないと知らないうちに全然違う方向に向かう車線に入っていたりするので、本当にややこしいです。

駐車場に自動車を入れて、まずはローマ・ゲルマン博物館へ。
Koelnはその名前(Koeln=コロニー=植民地)の通り、ローマ時代の植民地の一つであり、初代皇帝アウグスティヌスのひ孫にして、3代皇帝カリグラの実妹、5代皇帝ネロの実母かつ4代皇帝クラウディウスの姪にして妻である、ユリア・アグリッピナ通称小アグリッピナの生地でもあります。この小アグリッピナに因み、ローマ時代は Colonia Claudia Ara Agrippinensiumと言っていたそうです。
そういうわけで、掘ればローマ時代の遺跡がぼろぼろ出てくるらしい
ちなみに現在分かっている多くの遺跡は、戦後、戦災で大聖堂以外、街の大部分が焼失した際に発見されたらしいです。
(なお大聖堂だけはピンポイントで爆撃が避けられたという噂<−本当かな〜)
ローマ時代の屋敷の床のモザイクなど、教科書で見たようなものを実際に間近で見ると、なかなか興奮です。

子ども達のうち、上の二人は結構おもしろがってあれこれ見てまわりました。一番上は、ギリシア・ローマ神話とかを愛読しているので、神話をモチーフにした石像・粘土像などを中心に見て回り、小物好きの2番目の娘は、当時の服飾品(指輪とか腕輪とか髪飾りとか)を中心に見学。
但し、一番退屈していた末っ子が一時行方不明になるというトラブルが発生。
結局、ひとりでトイレに行ってうんちをしたものの、まだ自分で拭けないので、トイレの中で叫んでいるのを発見。
たしかにここのところ我が家で彼は「自分1人でトイレに行く」練習をしているので、怒るに怒れず。しかたないので、これを機に「外でトイレに行く時は、大人の人に言ってから行くこと」と言い聞かせることに。

ちなみに大聖堂の基部に相当する駐車場にはなんと、ローマ時代の城壁がそのまま残っている箇所があります。掘ったら出てきちゃった、っていうパターンですね。

続いて、最近整備されたという、ローマ時代の公館( Praetorium )跡を見学。これは博物館から1ブロックほど離れた現在の市役所のある区画の地下にありました。戦災によって発見された後、いずれ調査して公開することを前提に、公館跡を覆うようにして街を再建したそうです。1600年ほど前の建物の構造を間近で見ることのできる貴重な展示でした。

再び大聖堂へ戻り、一応中を見学。ここも一応UNESCO世界文化遺産の一つで、中々のでかさ&壮麗さ。13世紀以来今なお建築中。
でもTrierとかローマ・ゲルマン博物館とかとの比較のせいか、既に我が家では13世紀ではもはや驚く程のものでは無くなってます(笑)

O師のご案内で昼から、ケルンから40kmほど離れたDuesseldorfへ。
今を遡ること16年前、生まれて初めての海外旅行でパリで開かれたWSCF総会に参加した帰り、なぜかシャルル・ドゴール空港の後でDuesseldorfを経由したので、一応Duesseldorfに来たことはあるわけですが、当然空港外になんか出たこと無いので、要するに初めてです。
Duesseldorfには、日本の企業がものすごくたくさん進出しているので、日本人向けのレストランや商店なども沢山あります。かつて飛行機がDuesseldorfを経由したのも、そういうわけでそれなりの需要があったからのようです(現在はFrankfurtが国際ハブ空港となったので、Duesseldorfから日本への直行便は無くなってしまったらしい)。

Duesseldorfではまず日航ホテルの駐車場に自動車を止めたあたりで、既にびっくり。「ようこそ」とか日本語で書いてあります。ホテルの地下にはカラオケ屋が。外に出て街を歩くと、日航ホテルのある通りは日本企業が集中している地域でもあり、周りには日本人向けのレストランや商店が並んでいます。本屋には小学館の学習雑誌なんかまで並んでいます。但し値段は日本の3倍!どう考えても、日本から書籍扱いで送ってもらった方が本代+送料を合わせても絶対に格安ですが、もちろん別に値段は高くても構わなくて、その場で手に入る方が良いという人もいるわけでしょう。
その他、日本食材店はもちろんですが、日本人向けの美容室とか、日本人向けの肉屋とかまであります。
美容室はともかく、なんで肉屋まで「日本人向け」とわかるかというと、値段のところに「すき焼き用」とか「しゃぶしゃぶ用」とか「日本語」で書いてあるからです(笑)。
そしてこの肉屋なんて、すき焼き用の薄切り霜降り牛肉(<−ドイツでは普通あらかじめ脂身を取り除いた塊しか売ってないのでたしかに珍しい)が、100gで2EURぐらいで売ってます!そりゃたしかに、日本では、すき焼き用の牛肉が、100gで2EUR(=280円ぐらい)というのは普通です。でも、うちの村のスーパーなら牛肉1kg(もちろん塊)が6EUR(=850円ぐらい)で売ってるわけですから、100gなら0.6EUR(90円ぐらい)なわけで、(肉の部位の差はともかく)値段だけ見ればその差なんと約3.3倍!一体誰が買うんだろうか・・・って、もちろん日本企業の方がたがお買い求めになるわけですよ・・・。つましい留学生の身分との圧倒的な経済的格差を間近に感じた瞬間でした・・・。

そして昼食はなんと、ラーメン・チャーシュー丼定食。べつになんてことのない、ごく普通のありきたりのラーメン定食ですが、昨年2月にベルリンのラーメン屋に入って、涙を流しつつ食べて以来(昨年8月に再訪した時はお休みだった)、実に1年2ヶ月ぶりのラーメン定食なので、これが実に美味い
おまけに、この店には、日本の定食屋やラーメン屋のように、新聞とか少年マガジンとかが置いてあります。いやいや、ここは本当にドイツか?どっか日本の田舎のビジネス街の定食屋なんじゃないのかと一瞬してしまうような・・・。
結局、Duesseldorfでは、古い街並みのある旧市街には行かずに、日本人向け商店のある地域だけを散策して帰ることに。いやいや、本当にびっくりした・・・。

(この項まだつづく。)

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