カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の30件の記事

2009.07.21

今回も面談終了

今回のドイツ滞在も、残すところ後1日となりました。
昨日、無事面談終了。
8月に4週間アメリカに行くまでに、著作の校正を仕上げないといけないという中、貴重な時間を割いてくれた指導教授からは、非常にソフトに「で、まだ書く気あるかな?」という感じでしたが、そこは「も、もちろんでっす!」と気迫だけは十分という感じで、でっち上げたものをとりあえず見せつけて乗り切りました。
しかし、さすが世界の(?)Stegemann、何を言いたいのかわかならいような私の質問に、非常に的確な資料を紹介してくれました。

ものすごく手短に言うと、

既に、90年代にB.J.Malinaが、Deviance Theory(逸脱理論)をルカ研究に取り入れていたので、今回の僕の論文でもそれを活用するのですが、今回、M.L.Prattが提唱する「Contact Zone」の概念を、このDeviance Theoryと統合して、ルカの旅行記解釈に援用できないか、というとんでもない質問に、「う~ん、それねぇ、ヨセフスの研究してるアメリカ人が、なんか似たようなことやってるから、参考になると思うよ。ヨセフスとルカは共通点多いから。たぶん、ルカはヨセフスの影響あったでしょう。ただイエス運動に対する態度が決定的にちがうから、そこがポイントになるじゃないかな。まぁがんばって書きなさい。」という感じで、さくさく、参考文献を2冊ほど提示。

たぶん、これまでに紹介された参考文献を僕が全てきちんと消化できていれば、論文の2本や3本、余裕でかけちゃったりなんかしちゃったりしてるのでしょう・・・。
そんなわけで、やさしい指導教授から、逆に励まされて、かえってちょっと落ち込んだりなんかしちゃったりしたのでした。

夕方は、この夏についに論文提出の運びとなった、かつてのお隣さんだったインドネシア人の盟友のお宅を訪問。9月にはインドネシアに帰国、その翌週からは教壇に立つということで、今はもう何がなんだかわけがわからない、という中で、貴重な時間を割いて、夕食に招いてくれたのでした。
お互い、次は日本か、インドネシアで再開することを約束して(こどものそれぞれの夏休みはいつかとか、インドネシアはイスラム暦によって航空運賃が上下するので、ラマダンがいつなのかを調べた方がいいとか、日本は6月が梅雨だから、天気は悪いが航空券は比較的安いとか、むっちゃ具体的な話をして)分かれました。

Cimg2103Cimg2104 写真は、村のMaibaum。

フランケン地方の旗(赤と白)は、まぁ当然と言えば当然ですが、1.FCNuernberg(ニュルンベルクが本拠地のサッカーチーム)の旗(赤と黒に白字)がはためいているのは、まぁこれも当然と言えば当然か、と。
まぁ要するに大阪で、商店街に阪神の旗が張ってあるみたいなもんですわ。
そんな熱狂的なファンの願いが通じたのか、1.FCNも8月からは1部リーグ復帰が決定しました。
全然関係ないですが、いや~僕ボクもがんばらなあかんあ~とおもうてるんですわ、とひとりごちたのでした。

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2009.07.09

またもや滞独中

全然論文は進んでいないにもかかわらず、またもや2週間の予定でドイツに昨日からきています。
いやまぁ、進んでいないからこそ、ちょっとでも進めるために、この時間を使わなければならないのは言うまでもありませんが、言ってしまうと、なんだか情けない。
ほとんど指導教授に怒られにきたようなものなのですが、優しい先生はきっとおこらずに励ましてくれちゃったりして、余計に情けなくなるのは必定なのですが、まぁそれも身から出た錆なのでどうしようもないですな。
とにかく、せっかくいただいた時間ですから、有効に活用したいと思っております。

 しかし、1年ぶりのNeuendettelsau、さすがに列車が駅に近づくと、万感の思いがこみ上げてきます。
留学中を過ごしたこの村には、大変だったドイツ生活の最初の頃、友人たちとの楽しかった思い出、苦しかった研究生活(原則まだ続いてるはずなのですが)、いろんな思い出が詰まりまくっています。
近い将来、妻と子どもたちと一緒に是非またここに来なければ、そんな思いを強くしたのでした。

 で、そんな具合に1年前を懐かしみつつ、散歩と買い物を兼ねて、下の子どもたちが通っていた幼稚園に行って、子どもたちが先生に書いた手紙と、友達への手紙を託してきました。
 雨男の僕が外にでるととたんに大雨。もっとも、この天気のめまぐるしい変わりようは、まさになつかしいFrankenの天気です。丘陵地帯なので、一日のうちで天気が目まぐるしくかわるのです。
 で、その大雨の中幼稚園まで歩いて行くと、玄関先で雨宿りしながら、手紙を託された一人の男の子とそのお母さんが、昔のうちの子どもたちの担任だった先生と、ちょうど立ち話してました。雨のおかげで、この人たちには直接手紙を手渡せたので、よかったよかった。たまには雨男もいいことあるね。

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2008.03.29

ご挨拶

3月26日、無事に家族揃って日本に戻って参りました。

心配していた大量の荷物、いろいろお茶を濁しつつなんとか無事通過。
心配していた入国審査も、押捺無しで無事通過。

この3年半の間のご支援に心より御礼申し上げます。

いろいろなハプニングがありましたが、それはまた改めて投稿致します。

とりいそぎ日本に戻ったご挨拶とさせていただきます。

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2008.03.21

面談終了

昨日は、指導教授との最終の面談。
ドイツにいる間に出来るだけ大枠を書いて、それを教授に見せて行くのが、最も好ましいスケジュールだったわけですが、誠に残念ながらドイツを離れるまでに大して分量を書くことはできませんでした
そうは言っても何も持たずに、のこのこ教授の前に顔を出す訳にもいかず、とりあえず徹夜で準備。週末の荷造り以来こんな感じが続きます。
について造りの際にも、この面談で使うであろう本や資料は箱詰めせずにお取り置き。(この行為の論理的帰結として、手荷物として担いで飛行機に乗らなければならないということは、明白である。)
面談時間の直前までかかって、論文全体の結論となる内容について一応まとめる。でももうプリンタは荷出ししちゃって自宅にない。
しかたが無いので、データをUSBスティックに入れて神学校で印字、5分遅れで教授の研究室へ駆け込む。

「残念ながら、大した分量は書けませんでした。だから今日は結論部分についての基本的な方向について相談したいと思います。」といきなり宣言しつつ、不信そうな顔をする教授を前に自説をご開陳。
レジュメの説明をしつつ、手荷物重量の超過覚悟で残した資料や本をここぞとばかりに見せつける。
おかげでそこそこ納得して戴けたご様子。
一通り説明が終わったところで、教授が一言、

「あなたのアイデアは面白いと思う。これを上手くまとめられたら、新約研究に新しい視点を提供することも可能だろう。で、だから(能書きはいいから)書いて」[括弧内は引用者による補足]

はい。その通り。仰る通りです。ぐうの音も出ません。

その後、今後のスケジュールについて相談。とりあえず1章分書けたらメールで送って内容をチェックしてもらうのは当然のお約束。いや〜15年前だったらこんなの無理だったろうな〜。ほんとネット様々です。
で肝心の今後のロードマップの方は、次回いきなり提出のために来独、というわけにはいかないことに。半分書けたら中間報告・面談のために一回来る方が良いとのこと。指導教授の立場としては至極順当なご提案です。
でもそうなると、当然最終段階に至るのが、当初希望的に観測していた予定よりも半年ほどズレ込むことは必至なわけで、いささか情けないというか、忸怩たる思いが心に満ちる。でもこれも身から出た錆なのでどうしようもないわけで…。

とはいえ、いずれにせよこれで一応、荷出しにならぶ離独準備の最大の山場はクリア出来たということで、ちょっとほっとしたのでした。

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2008.03.19

引っ越しまでの遠い道のり

昨日、荷出しがついに完了。
最後のぎりぎりまで慌てて作業しているのをいいわけに、妻に荷造りを完全委任。
で、ほとんどのものはとっくに荷造りがおわっているのだが、私のものだけは最後まで当然残るわけで、この土日に不眠不休でなんとかマニア合わせる。
当然荷物は原則船便なので、東京に到着するのはおよそ2ヶ月後になる。
だから、どうしてもすぐに必要な資料とかは手持ちになるので、どれを持って行くか選んだり、ためにためてた文献表とかを一気に作成したりしつつパッキング。なんとかぎりぎりで間に合う。あいかわらずの瀬戸際の魔術師ぶりだが、さすがに体がもたなくなってきました。

ちなみに、こちらで住んでいるアパートは帰国宣教師用住宅なので、家具・食器・リネン類などは全て備品。なので、荷物は全てその他の生活用品と本。
費用の関係で、できるだけ4立方mにおさまるように箱にできるかぎりぎゅうぎゅうに詰め込む(船便は重さは関係ので)。

子どもの服とかまぁある程度かさばるのはしかたがないのだが、問題は本。
基本的に本はこちらの図書館で借りているのだが、それでも購入した本はなんだかんだで結構多くなってしまった。
その他の資料・コピーの量も結構すごいです。
荷物の6割は本(もちろん子どものものも含めて)と資料でした。
当然、テオリー通り本は一番小さい箱に詰めるわけだが、引き取りに来た人(一人だけ)が、その重さと数の多さに呆気にとられているので、このままではラチがあかないと、積み込みを手伝う。おかげで筋肉痛に。日本から持ってきた湿布薬をここぞとばかりに貼るが、きっと明日はもっと痛くなるのでしょう・・・。

で本日は、神学校に行ったり、銀行に行ったり、大家である海外宣教局にいったりして、各種残務処理。
午前中最大の山場(?)は自動車の処分。
うちのアパートの隣が自動車修理工場で、大変親切に右も左も分からん外国人相手にこれまでも修理の相談にのってくれていた。
なので、そこで引き取ってもらって、登録抹消のための各種手続きをお願いする。
本当に親切な車屋さんで、本来ならばこちらが廃車費用を出さないといけないぐらいのポンコツなのに、餞別代わりに一応「買って」くれて、「今度また来ることがあったら、その時はポルシェ持ってきてね。がはは」と言う。
なんかあまりドイツ人らしくないな〜と思ったら、電話で突然イタリア語をものすごく流ちょうに話し始める。
え〜、イタリア語ものすごく上手ですね!と言ったら、「だって、イタリア人だから。もう40年ドイツにいるけど。」
根拠は無いが、なんとなくこれまでの一連の対応「ノリ」に納得。

午後は留学生仲間が企画してくれた「アジア風送別会」。
「アジア風」というのは、送別される人がゲストだという意味。
昨今のドイツ(よく知らないがどうも北西ヨーロッパ一般にそうらしい)では、子どもだけでなく、大人の場合でも、個人の誕生日だろうが内輪の送別会だろうが、お祝いされる人がGastgeber(ホスト)で、お祝いしてくれる人がGast(ゲスト)というのが普通らしい。
要するに、お祝いしてもらいたい人が、自分の都合を最大限優先することを追求するためには、そうなるらしい。
で、一応子ども達のためのお別れ会だけは考えていたのですが、大人用にはそんなことする時間的余裕も言われも全くないので、知らん振りをしていたら、インドネシアからの留学生仲間が、「やっぱりやらなきゃだめだ!おまえに時間が無いなら、私たちがやってやる!インドネシアじゃ残る方が送別会を開くのが普通だ!」ということに。あ、やっぱりそうなのね。ちなみにイタリアに留学していたラテン語の先生に訊いたら、イタリアでもそれが普通らしい。ヨーロッパと一括りに言っても、地中海文化圏と北海・バルト海沿岸文化圏の違いの大きさを感じる・・・。
というわけで、「アジア風」送別会をやることに。指導教授や、お世話になった宣教学講座の教授にも声をかけるように、「主催者」から言われてご招待。お二方とも、義理堅く顔を出してくださいました。
送別会のお開きの際には、ため込んでいた日本関係のグッズを皆様にお土産として大放出(これも正しくアジア風と言えるか・・・?)

明日は、指導教授と最後の面談。
あまりにも遅れている行程をいいわけして切り抜けるためのネタを今晩徹夜で作成中。緊張です。

村内では今やイースター(Ostern)のための飾り付けなども散見。
春は間近ではありますが、今日はまだ一日寒い風が吹いていました。

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2008.03.08

今日は

妻は着々と日本に戻る準備を進めています。
負けじと僕も今日は隣の自動車屋に行って自動車の処分について相談して来ました(ていってもものの5分ですんでしまいましたが)。
そして村役場で引越し届。
本来、これはもっと離独直前でも構わないのですが、インターネットのプロヴァイダに解約通知をする関係で、転出届の受領書が必要なため、ちょっと早めの届け出となりました。
(転出日として離独予定の日を記入。)
来週早々には、この受領書をプロヴァイダに解約通知と併せてFAXすることになります。
あっ、受信料の自動引き落としの解約もしなくては…。(これもFAXしなくては…。)
そう言うわけで、着々と引越しの準備の方は進んでいっています。
着々と進まないのは論文だけ…。
精進精進。

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2008.02.23

歯が折れた・ついに抜歯

突然ですが、僕はビールのつまみにするような「乾き物」系のものが大好きです。
一番スキなのは居酒屋で食べるエイヒレなのですが、その他、例えば干しダラとか小魚せんべいとか、イカの燻製(いわゆる「いかくん」)とか、当然さきイカとかとスルメとか、そういうものです。
ドイツにいてもどうしても、そういうものが食べたくなるので、両親に頼んで送ってもらったりしてきました。

さて、諸般の事情でそろそろ身辺を整理することになったため、これまでけちけちと食べてきたこういう乾き物系のものを、ここぞとばかりに食べ始めることとなり、年明け当たりからやたらとイカくんとかスルメとかをかじりながら文献読んだりするようになっておりました。

そんなある夜、面倒くさいので(コンロは電気だし、オーヴンはでっかいのしかないから)、スルメを炙らないでかじっていたところ、突然「ピキッ」という鋭い音が頭蓋骨内に骨伝導でこだま。

昨年来、以前に歯髄を抜いた歯の一部が欠けることが度々あったので、またか!と思い、思い当たるところを舌で探ってみるがなんともない。

あれ?どこも欠けてないけどな〜、じゃああの「ピキっ」って音は何だったのだろう・・・と思いつつ、次の日食事をすると、何かを噛むと歯がぐらぐらして、痛くなることが判明。
ひょっとして歯の内側にヒビが入ったのだろうか?う〜ん、今ドイツで入っている留学生用の保険では歯科治療はカヴァーされる範囲が狭いので、果たして充分な治療ができるだろうか・・・日本に戻ってから本格的に治療しようか・・・などと思いつつ1週間が過ぎたところ、段々と歯茎が腫れて痛みが発生。
特に食事の後に痛みが厳しく、しばらく我慢すると退いてゆくのだが、食事をする時に、当該の歯に何かがぶつからないように非常に気を使うように。
いやー、これはどうですか。ちょっと困りませんか。日本に戻ったらなんて悠長なこと言ってられないことないですか、と思い始める。
今の世の中、心配なことはまずはネットで検索が基本。
で調べてみたところ・・・どうもこれは歯根破折というものらしい。

歯髄(いわゆる「神経」)を抜いてしまった歯はもろくなるので、10年ぐらいするとこういう危険と隣り合わせになるらしい。
で、治療法は・・・歯を抜かなければなりませんってええぇぇええ〜!!!

このあたりでものすごくブルーになるが、どうせ抜くのなら、歯茎などに炎症を起こしたりする前に、できるだけ早く処置する方が良いらしいということがわかる。
しかたがないので、村でお世話になっている歯医者さんに電話して、明朝一番で予約。ドイツ語で歯医者の予約をするのに馴れてくるというのも、何だかもの悲しい。

明けて次の日、意を決して歯医者に行く。
先生に状況を説明すると、とりあえず詰め物をとって中を見てみましょうとのこと。
中を見た先生から、ほぼ予想通りの説明。結論から言うと「もう抜かないとダメ」とのこと。が〜ん、予想していたけどやっぱりそうか…。

というわけで麻酔注射をして、歯を引き抜かれる。
麻酔をしているので痛くは無いが、またもや「メキッメキメキッ」という音が骨伝導で頭蓋骨内にこだま
先生が歯を引っ張り出そうと、器具を押し込むたびに、僕は体格が小さいので体ごと椅子の上でずり上がる感じ。
最後は、折れている先っぽを引き抜くために、穴を削って引き抜き。

血止めに脱脂綿をとりあえず噛んで、抜いた歯を見せてもらう。
既に神経が抜かれているので、かなり茶色っぽく変色しており、その根っこの方が「ぽっきり」二つに折れてました…。
頭のなかでは絵本「じごくのそうべえ」([桂米朝 上方落語 地獄八景より]田島征彦 文/絵、童心社1978)の一場面、「はぬけにしよった〜」が頭の中をぐるぐるまわる。
とりあえず、子ども達に歯の抜けた穴を見せつけて、「ちゃんと歯を磨かないと、そのうちこうなる」と脅しをかけておく。当然子ども達は大ビビリ。

とにかく、そういうわけで、今日から歯抜けになってしまいました。
抜けたところをどうするかを考えるとまた憂鬱ですが、それは日本に戻ってから考えることにしよう…。
しかし、うう、40を前にして早くも義歯人生か・・・。

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2007.10.24

Mit Elekto-Rollstuhl auf der Autobahn; 81歳のドイツ人女性、車いすで高速道路を走行

リンク: 81歳のドイツ人女性、車いすで高速道路を走行(ロイター) - Yahoo!ニュース.

妻がまず日本のニュースを読んでいてこれを発見。
どうも現場はニュルンベルク近郊らしいというので、地元紙(Nürnberger Zeitung)のサイトを調べてみる。

ドイツでの新聞記事のサイトはこちら

えーなになに、で、どこだったんだろうか…A9、Fischbach…
あれ?これって…日本語補習校が昨年までつかってた校舎があるところ(Langwasser)からそんなに遠くないよな…
っていうか、毎週土曜の日本語補習校への往復は、通常はこの一つ南のNuernberg Suedのジャンクションを使ってるんだけど、ごくたまにだけど帰りの時にA9経由でこのNuernberg-Ostも使ったことあるじゃないですか…。

でいつのことなんだろう?えっ10/20の土曜日!
いや、この日、僕は村内で宣教学セミナーがあったので、お友達のお誕生会に呼ばれた末っ子と一緒に村に残ったんですが、妻と上の二人の子どもはいつも通りアウトバーンでニュルンベルクに行ってましたよ。

で、時間は…えっ14:15頃?それって日本語補習校からちょうど帰ってくる頃なんでないの?
妻に訊いたら、この日は13:40頃に、日本語補習校が校舎を借りているニュルンベルク北東部のシュタイナー学校を出たとのこと。
いつも学校を出た後、4Rと呼ばれる環状道路を経由して、15分程度かかって南下してからアウトバーンに入っています。

え、ってことは…もしかしてニアミス?

想像するに、妻と子どもたちがアウトバーンのNuernberg-Suedのジャンクションにさしかかった頃、このおばあさんは、おそらくそこからほど近い入り口からまさにアウトバーンに乗り入れんとしていたところだったと思われます。

GoogleMapでみると、多分こんな感じの位置関係か…。

いやまぁとにかく何の事故もなくて幸いでしたが、しかしそれにしても…

見てみたかったな〜、実物

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2007.06.21

アパートの地下・洗濯室

070620_153821 ドイツの(というかヨーロッパ全体に見ても)多くの住宅には地下室(Keller/ケラー)があり、ボイラー室や倉庫や洗濯室、その他にも子どもの遊び部屋等にも利用されています。
地下といっても半地下みたいな感じで、明かり取りの窓がついています。
アパートのような集合住宅の場合にも、地下が区切られて倉庫として利用出来る場合が一般的なようです。

ちなみにうちのアパートも、ケラー(地下)には、各部屋用に区切られた倉庫スペースと、20人ぐらい入れる共同集会室、そして共同洗濯室があります。

伝統的には、ドイツのアパートには大概、地下に共同洗濯室があるものらしい。

昨今では、各家庭に洗濯機が置かれるようになったわけですが、洗濯機の無い時代は当然洗濯は1日仕事なので、アパートの住人同士で「洗濯日(Waschtag)」というのを決めて交代で洗濯室を使ったものだそうです。

そういえば、ゲーテ・インスティテュートのドイツ語講座に出ていたとき、教科書の例文で、"Waschtagについて話し合います。関心のある方はご参加下さい"とかいうチラシを初めて見たときには、なんのことやねんと思ったのでした。

070620_153941 現在でも共同洗濯室のあるアパートは少なくないようですし、利用している家庭も多いようです。
かく言う我が家もその一つです。

そもそもずっとドイツにいるわけじゃないし、ドイツの家電製品は、電圧が違う(220V)のでそのままじゃ使えないし、周波数は50Hz専用だから、変圧 器つけても西日本だったら使えない可能性が高いし、とにかくドイツで洗濯機を買うつもりはこれっぽっちもなかったので、アパートの共同洗濯機を愛用してお ります(他の住人には、個人用を持っている人ももちろんいる)。

ちなみに、写真の洗濯機のうち、手前の二つは個人所有のもの(片方が洗濯機で片方が乾燥機)、奥の二つのうち奥のモノが、2ヶ月前に壊れた古い共同の洗濯機。奥から2番目が先日ついに設置された新しい共同の洗濯機。写真には写ってはいませんが、共同の乾燥機というのもあります。
ちなみに、ドイツの洗濯機はほぼ100%ドラム式です。


070620_154001 また、洗濯場だけでなく、大抵、洗濯干し室も一緒にある場合が多いようです。
というのも、ドイツの都会では外というか「人から見えるところ」に洗濯を干すのは、一種のタブーみたいなもんらしい
それに、そもそも天気のいい季節なんて年に2〜3ヶ月しかないので、どちらにしても屋内に洗濯干し場がいるわけですね。
でも、別に乾燥させる設備とかあるわけじゃなくて、単なる(ちょっとじめっぽい)地下室です(但し冬はもちろんセントラルヒーティングが入る)。
ドイツの人は結構「清潔さ」にうるさいのですが(小学校の子どもの机の中からかびパンとかが発見されるともの凄い騒ぎになるらしい)、洗濯物を日光にあてることには、あんまりこだわらないらしい
ちなみにうちは田舎だし、アパートがちょっと中に引っ込んでいるので、これ幸いとベランダに干してます。
うちの場合は、やっぱり日光消毒信仰が根強いんですね〜。
清潔と不浄の基準がいかに文化に依存しているかの良い例ですな(笑)。

(写真は、うちのアパートの洗濯室の隣にある、洗濯干し室。)

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2007.06.20

なんでこれがおすすめなの?

なんでこの本を買うと、これがおすすめになるんだろう?
Amazonosusume

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