カテゴリー「学問・資格」の1件の記事

2005.10.25

おしえてえらいひと!貴種流離譚って何て訳すんでしょう?

まいど、Blogばっかり更新しているLEEでございます。

あんまりばかなことばっかり書いてると、ほんとに「ドイツくんだりまで行って何やってんだ(怒)」なんてことになると困るので、ちらっと研究の紹介と公開質問(?)などすることにいたします。

さて、本来新約学を研究にドイツくんだりまで来た私でございますが、最近読んでいる本と言えば、デュルケームとかブローデルとか山口昌男とかターナーとか、社会学・歴史学・文化人類学の本ばっかりです(しかも日本語も多いし・・・涙)。下手すると(元哲学科の私としては懐かしい)フッサールとかフーコーとかまで行ってしまうかも・・・という危機的(?)状況でございます。

そもそも何でこうなったかと言えば、指導教授から「まず研究の方法論についてまとめなさい。その際には、聖書学に入る前に、まず社会科学的なアプローチについて、まとめなさい」と言われたからなのです。

僕の研究テーマは、「ルカ文書における少数者の役割」というものです。
何かわかったようなわからんような題目ですが、一応説明させていただきますと、ルカ福音書・使徒言行録の中で、初期の教会の宣教の対象であり同時にその担い手でもあったと考えられる1c後半の古代東地中海社会の「社会的少数者(=周辺かされた人々)」のアイデンティティと、当時の教会の中での役割を明らかにすることによって、ルカの教会論・宣教論に迫りたい、という意気込みだけは成層圏レベルの高さの構想なのです。
しかしそのためには当然、1c後半の古代東地中海社会の社会構造・文化構造についてまず分析することが不可欠となります。その上でやっと、聖書本文の成立過程を追いつつ、当時の社会・文化の中で生きたそれぞれの段階の伝承を担った人々が、どのようにして「イエス運動」に参加していったか(あるいは巻き込まれていったか)ということについて分析できる、という順序なわけです。はぁ・・・。

さて、そういうわけで、古代社会の社会構造と文化構造を再構成するにあたって、どのような切り口で迫るか、ということを整理するのが目下の課題なわけで、そこで、歴史学・社会学・文化人類学とかばっかり読んでいるんです。
一応もくろみとしては、いわゆる社会史的に社会経済制度の変遷を追いつつ、同時に、山口昌男が70年代中頃から主張してきた、王権成立の基盤としての「中心ー周縁」の構造を用いることで、中心と周縁のそれぞれにおける文化規範の間で葛藤・矛盾が生じて、これがイエス運動発生の背景となる、ということを言おうと思っているのですが、問題は、「ドイツ語で書かないといけない」ってことですよ(涙)。
指導教授の薦めもあり、とりあえずまず日本語で書いてみて、それからドイツ語に訳して、それを誰かに添削してもらう、という方法をとることにしました。そういうわけで、今はまだ「まず日本語で書いてみる」という段階にあります。というか、そのための資料をあれこれ読んでる、という段階です。すいません、あんまり進んでなくて・・・。
そういうわけで、わざわざドイツまで来て、結局実家から山口昌男の本とか、デュルケームとかブローデルとか、ついでにサイードとか(<−一応現代における周縁化の構造の批判ということで)の日本語訳を送ってもらって、読んでます。すんません。でも、デュルケームとかブローデルとか、原書はフランス語なんで、どうせ翻訳で読むならおんなじだし・・・とか言って、一応言い訳させてください・・・(涙)。
しかし、日本語で書くとは言っても、ドイツ語に翻訳することを想定しつつ書かないといけないわけで、時々「これはどう訳したらいいの?」というようなものにぶつかることもあります。
最近困っているのは、折口信夫が提唱した「貴種流離譚」という定義ですが、これはドイツ語(だめなら英語)にどう訳すんだ?ということです。
山口昌男(「知の遠近法」岩波書店同時代ライブラリー1990)によれば、「貴種流離譚」は日本文化に特有のものというよりは、王権の成立の神話的宇宙論的背景として普遍的な構造と見るべき(例:自ら目をつぶしたオイディプスの彷徨など)らしいので、1c後半の古代東地中海世界に関する記述を分析する際にも、使えるのでは?と思っているのですが・・・。

というわけで公開質問(?)
どなたか、「貴種流離譚」の独訳(もしくは英訳)をご存じの方がいたら教えてください!

| | コメント (5) | トラックバック (0)