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2006.04.17

フランクフルトに行きました(4)

さて、そんなことしてる間に4日目(火)。

この日はバスでライン河畔を走って古城を眺めつつ、まずNassauの障碍者施設・作業所を見学。京都にいる時も、教会には知的障碍者の社会就労支援センターである修光学園の関係者も結構おられたので、時折出入りさせていただいておりましたっていうか、製品(=パン)買ってただけですが。というわけで、これまた懐かしいー。つーか、現在住んでるNeuendettelsauにも大変充実した施設・作業所があるので、むしろ日常ですね。別に懐かしくないです。すいません。

午後にはLimburgというフランクフルトとケルンの間にある古い街のディアコニーの相談ステーションを見学。生活保護や精神障碍へのサポート、依存症治療サポートなどのための相談所でした。ここでもやはりキーワードはNiederschwelle(低敷居)。こんだけ敷居を低くすることが課題となってるってことは、これまで相当手続きが面倒くさかったんだろうな〜と実感。いやいや、実際ドイツの官僚主義は日本に優るとも劣らないすごさですからね〜(しみじみ)。
多分日本に戻って日本のお役所仕事を見たら、まるで8倍速ぐらいで早送りしてんじゃないかと錯覚するだろうな〜というぐらい、ドイツの役所(およびそれに類するところ)の仕事は遅いです。(でも提出期限を締め切るのだけは早い。)僕の日本の免許のドイツ免許への書き換えなんて、結局翻訳を作るとこから数えて総計3ヶ月以上かかりましたらね〜。ちなみに日本のJAFで翻訳して免許試験場で手続きする場合は、タイミングさえ良ければ1日で(朝イチで翻訳、午後イチで書き換え手続き、というかんじで)出来るらしいです。日本だったら、「え〜1日とられちゃうのか〜」という感じですが、今の僕には「え〜、1日で手続き終わって受け取りまでできるなんて信じられなぁあああい」という心境です。

というわけで、5日間の研修旅行も怒濤のように過ぎ、僕も久しぶりの都会を満喫。水曜日は午前中に簡単な振り返りの時間をもって解散。帰りの電車の時間はちょっと余裕があった(というかNeuendettelsauに到着するための単線の時間に合わせると乗れる本数がすくないので必然的にそうなった)ので、あらかじめ調べておいた郊外の日本食材店に行ってみることに。
Frankfurt郊外の地下鉄(U3)のNiederursel駅から歩いて10分、探していたひまわりマートというお店を発見。店内に入ってびっくり!さすが国際金融都市Frankfurt、BayernはMittelfrankenの田舎では絶対に売ってないようなものまで揃ってます。「うまい棒」とか「おたふくソース」とか。でも値段は日本の約3倍!まぁしかたないよね・・・。でも「春日井のグリーン豆」が1袋3.5EUR(約500円)では、ちょっともったいなくてバリバリ食べれません・・・
ニュルンベルクですら中々手に入らない、おでん種とかも売ってますが、さすがに値段もばかにならないのと、これから3時間近くかけて持って帰るので、買わずにスルー。とりあえずニュルンベルクではなかなか目にしない「うすあげ」を数枚購入。小さめのが2枚入り1袋で1.6EUR(約215円)。・・・いやいや、「うすあげ」なんて、京都にいる時は出町の商店街でやっすい安い値段でおいしいのがいくらでも買えたもんですが・・・。まぁしかたないっすね・・・買えただけでも収穫です。
値段はさておき、その品揃えに感動し、おもわずお店の人(日本人)に「いやー、素晴らしい品揃えですね〜」と言うと、「でもね、この辺に住んでる方がた(=Frankfurtに赴任してきている、企業の海外駐在家庭)は、日本のコンビニと同じ感覚で来られますからね〜。品数が少ないって良く言われるんですよ。」とのことでした・・・。・・・世の中には、そういう方がたもいるもんなんですね・・・。でも、そういう人はドイツで暮らすのは楽しくないだろうな・・・と思いつつ、ド田舎の村への帰路につきました。

・・・いやいや、今回も長いね。今度からもっと小分けにしよう。

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コメント

りーせんせ

 『フランクフルトへ行きました(1)』を読んでいて、(2)はいつくるんだろうと楽しみにしていたところ、一気に(4)まで記してあったので、「おーっ」と思いながら、読ませていただきました。
 ひとつ質問なのですが、ドイツの人が、一般的に「ディアコニー」という言葉を使うとき、その中にはどのような意味がこめられているのでしょうか。李先生は、確か(2)では、「ディアコニー施設」を「キリスト教社会福祉施設」と説明しておられましたが、ドイツ人の感覚ではどんなもんなんでしょうか。実は、昨年秋に、論文を仕上げる段階に入って、「やっぱり、ディアコニアとは何ぞや、という定義をしておかないと、論文書き始められないなー」と思い立ち(実はあまりにも遅すぎたのですが)、すったもんだした記憶があります。すったもんだしている中で、発見したのは、「ディアコニアはこうだ!」というような定義がなくて、みんな好き勝手なこといってるということでした。モルトマンなんかもそんなんでいいんかい、と思うようなこと書いてるし。結局、みんなの言うことを、何とかまとめましょうといって、きれいにまとめてくれている、あるデンマーク人の新約学者の定義を使わせていただいたのですが、ドイツでは一般的に、どんな風に理解されているのかは、とっても気になります。
 ついでですが、前述の論文は何とか仕上がりまして,保護者に間違われながら卒業式に参加しました。さらに言いますと、この4月には再び保護者に間違われながら、後期課程の入学式にもいきました。今回は「19世紀半ばのデンマーク、コペンハーゲンの内国伝道」をテーマにします。ディアコニアがデンマークに伝わったのはこの頃で、そのあたりをつっついてみようと思っています。
 では、お勉強、がんばってくださいね。

投稿: morimoto | 2006.04.17 23:41

morimotoさん、早速のコメントありがとうございました。
遅くなりましたが、論文提出・修了・入学おめでとうございます。

さて、ご指摘の通り(?)Diakonieを「キリスト教社会福祉施設」とするのはたしかにちょっと乱暴というか、Diakonieの運動・形態の一部だけしか表していないと思います。ですが、予備知識の無い方にはその方がぶっちゃけてわかりやすいかと考えて、敢えてそのように注記しました。
ドイツにおけるDiakonieの定義というのをもしドイツ人が説明するとしたら、きっと「Diakonisches Werk der EKDを形成している地方組織およびその下部組織」とか言うでしょうね。(<−いかにもカテゴライズ至上主義)
組織論ではなく、本質論あるいは運動論からDiakonieを定義することは、実はドイツでもまだあんまりされてないんじゃないかと思います。多分、Diakonieの存在が日常的過ぎて「あるのがあたりまえ」だからだれもその本質をあえて定義する必要を感じてないのだと思います。

Diakonieの前身としての内国伝道の歴史は、実は僕自身も大変興味を持っています。プロテスタントにおける「海外伝道」が始まってくるあたりと時期的にも重なるだけに、当時の欧米キリスト教界の社会史において重要な転機だったのではないかと思います。
是非また何か面白い情報などおしえてください。
我が村Neuendettelsauの歴史も、まさにその辺がルーツなので、何かの機会に日本への紹介用にまとめてみたいものだと思っていますが、その前にまずは先にやらないといけないものが・・・。

投稿: LEE | 2006.04.18 00:34

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