2009.07.21

今回も面談終了

今回のドイツ滞在も、残すところ後1日となりました。
昨日、無事面談終了。
8月に4週間アメリカに行くまでに、著作の校正を仕上げないといけないという中、貴重な時間を割いてくれた指導教授からは、非常にソフトに「で、まだ書く気あるかな?」という感じでしたが、そこは「も、もちろんでっす!」と気迫だけは十分という感じで、でっち上げたものをとりあえず見せつけて乗り切りました。
しかし、さすが世界の(?)Stegemann、何を言いたいのかわかならいような私の質問に、非常に的確な資料を紹介してくれました。

ものすごく手短に言うと、

既に、90年代にB.J.Malinaが、Deviance Theory(逸脱理論)をルカ研究に取り入れていたので、今回の僕の論文でもそれを活用するのですが、今回、M.L.Prattが提唱する「Contact Zone」の概念を、このDeviance Theoryと統合して、ルカの旅行記解釈に援用できないか、というとんでもない質問に、「う~ん、それねぇ、ヨセフスの研究してるアメリカ人が、なんか似たようなことやってるから、参考になると思うよ。ヨセフスとルカは共通点多いから。たぶん、ルカはヨセフスの影響あったでしょう。ただイエス運動に対する態度が決定的にちがうから、そこがポイントになるじゃないかな。まぁがんばって書きなさい。」という感じで、さくさく、参考文献を2冊ほど提示。

たぶん、これまでに紹介された参考文献を僕が全てきちんと消化できていれば、論文の2本や3本、余裕でかけちゃったりなんかしちゃったりしてるのでしょう・・・。
そんなわけで、やさしい指導教授から、逆に励まされて、かえってちょっと落ち込んだりなんかしちゃったりしたのでした。

夕方は、この夏についに論文提出の運びとなった、かつてのお隣さんだったインドネシア人の盟友のお宅を訪問。9月にはインドネシアに帰国、その翌週からは教壇に立つということで、今はもう何がなんだかわけがわからない、という中で、貴重な時間を割いて、夕食に招いてくれたのでした。
お互い、次は日本か、インドネシアで再開することを約束して(こどものそれぞれの夏休みはいつかとか、インドネシアはイスラム暦によって航空運賃が上下するので、ラマダンがいつなのかを調べた方がいいとか、日本は6月が梅雨だから、天気は悪いが航空券は比較的安いとか、むっちゃ具体的な話をして)分かれました。

Cimg2103Cimg2104 写真は、村のMaibaum。

フランケン地方の旗(赤と白)は、まぁ当然と言えば当然ですが、1.FCNuernberg(ニュルンベルクが本拠地のサッカーチーム)の旗(赤と黒に白字)がはためいているのは、まぁこれも当然と言えば当然か、と。
まぁ要するに大阪で、商店街に阪神の旗が張ってあるみたいなもんですわ。
そんな熱狂的なファンの願いが通じたのか、1.FCNも8月からは1部リーグ復帰が決定しました。
全然関係ないですが、いや~僕ボクもがんばらなあかんあ~とおもうてるんですわ、とひとりごちたのでした。

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2009.07.09

またもや滞独中

全然論文は進んでいないにもかかわらず、またもや2週間の予定でドイツに昨日からきています。
いやまぁ、進んでいないからこそ、ちょっとでも進めるために、この時間を使わなければならないのは言うまでもありませんが、言ってしまうと、なんだか情けない。
ほとんど指導教授に怒られにきたようなものなのですが、優しい先生はきっとおこらずに励ましてくれちゃったりして、余計に情けなくなるのは必定なのですが、まぁそれも身から出た錆なのでどうしようもないですな。
とにかく、せっかくいただいた時間ですから、有効に活用したいと思っております。

 しかし、1年ぶりのNeuendettelsau、さすがに列車が駅に近づくと、万感の思いがこみ上げてきます。
留学中を過ごしたこの村には、大変だったドイツ生活の最初の頃、友人たちとの楽しかった思い出、苦しかった研究生活(原則まだ続いてるはずなのですが)、いろんな思い出が詰まりまくっています。
近い将来、妻と子どもたちと一緒に是非またここに来なければ、そんな思いを強くしたのでした。

 で、そんな具合に1年前を懐かしみつつ、散歩と買い物を兼ねて、下の子どもたちが通っていた幼稚園に行って、子どもたちが先生に書いた手紙と、友達への手紙を託してきました。
 雨男の僕が外にでるととたんに大雨。もっとも、この天気のめまぐるしい変わりようは、まさになつかしいFrankenの天気です。丘陵地帯なので、一日のうちで天気が目まぐるしくかわるのです。
 で、その大雨の中幼稚園まで歩いて行くと、玄関先で雨宿りしながら、手紙を託された一人の男の子とそのお母さんが、昔のうちの子どもたちの担任だった先生と、ちょうど立ち話してました。雨のおかげで、この人たちには直接手紙を手渡せたので、よかったよかった。たまには雨男もいいことあるね。

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2008.08.09

もうとっくに三鷹にいます

10日あまりのドイツ滞在をあっという間に終え、もう先々週から三鷹に戻っています。
ドイツ、特にNeuendettelsauは涼しかった・・・。

最初の3日間は、Stuttgartにて、奨学金支給事務をしているDiakonisches Werk der EKDの奨学金担当部局による、最終セミナーに出席。実は昨年から奨学金担当者が交代になったので、僕としては今後のためにも顔合わせをしておきたかったのでした。
セミナー終了後、Neuendettelsauへ。

Neuendettelsauにいた時の留学生仲間が途中で一緒に食事会をしてくれて、楽しい時間を過ごすことが出来ました。感謝
その他、長男が同級生たちの卒業お祝い(ドイツは4年生で小学校卒業だから)に顔を出して、息子宛のお手紙などを頂いてきました。感謝。

教授とは2回にわたって面談。とりあえず書いた研究方法序説を押しつけて読んでもらいました。曰く、「ドイツ語についてはまた誰かにチェックしてもらう必要があるが、内容はわかった。良くかけていると思う(から、もうこれ以上この部分に時間かけないで)、(いいからとにかく)どんどん書いて。」とのこと(括弧内は筆者による補足)。
で、いくつか必要な資料を紹介してもらい、あれこれコピーしたりして、その他家族のためにおみやげなど買い込み、行きの倍ぐらい重くなった荷物を抱えて日本に戻る。
ドイツを発つ日のお昼には、留学生仲間がお昼を作ってくれました。感謝。

帰りの飛行機の中では、8月の間に書き進めようと決意したものの、クソ暑い東京を前に早くも挫折の日々が続くのでした・・・。

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2008.07.14

ただいま滞独中

そういうわけで7/11-13まで、奨学金支給団体(Diakonisches Werk der EKD)による、今年で奨学金が終わる人のためのセミナーに参加するために、またドイツくんだりまで来ています。
もちろん、このセミナーに出るだけが目的ではありません。
論文を進捗させるためです。
日本に戻ってからの3ヶ月は、正直なところ思っていたよりも忙しく、体力的にも限界でございました。
そういうわけで、ほとんど何も進捗を見出すことができなかったため、ここでちょっと時間を頂いて、さらに10日ほど滞独して、論文に集中しようと言う魂胆でございます。
あーでもなんですね。
10日で何とか出来るんなら、さっさとやれってことですな。
そういうわけでせっかくいただいた時間、頑張りたいと思います。

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ニセ博士の困った日常・いかにしてわたしはKLMに乗るのをやめて大量の荷物とともにAFで成田にたどりついたか

今更ですが、3月末にドイツから日本に戻る際の笑える(その時は全然笑えなかった)エピソードを一挙公開。

ーー

さて、引っ越し荷物を何とか搬出し、留学生仲間によるお別れ会、指導教授との最後の面談を終え、ついでに土曜日には指導教授の家に家族ごとお茶に招かれ、何とか無事にイースターOsternを迎えました。

無事に、とはいってもOsternを前にして突然の降雪。
この冬は、寒い日は結構さむかったのだけれど、なぜだか雪はほとんど降りませんでした。
それがなぜか春分の日(Der Frühlingsanfang)にやや湿りがちな感じで降雪。半日ほどつもっては融けるがその後繰り返されることに。
当然雪遊び用の服・靴などはもう発送してしまったので、子ども達は風邪引かない程度に塗れつつ若干雪で遊ぶ。

で、イースターOsternの日には、雪積もる中、恒例の朝5時半からのOsternachtと呼ばれる早天礼拝に一家で出席、続く朝食会にも家族で殴り込んで、子ども達が食い倒しまくっているところで、主任牧師から離独のご紹介。あーでも、まだ論文の続きをするためにまた夏頃には来るんですぅ〜あぁそんなに派手に紹介しないで恥ずかしいからぁぁ、などど思ったりもするが、実は牧師にとって一番大きいのは、ほぼ毎週欠かさず子ども礼拝に出席していたうちの子ども達3人がいなくなることの方だったりする。その他の教会員的にも、僕一人がいようといまいとあまり大差は無いが、子どもたちがいなくなることを大変残念がってくださる。というわけで、僕がいなくなろうとまた夏に来ようとまぁ関係ないので、恥ずかしがることそのものが意味がない。

午後は、元パプアニューギニア宣教師で、以前の宣教師研修所の所長で現在は神学生研修所の所長の方のおうちにお茶にご招待。
パプア時代の話とか、バイエルン福音ルーテル教会における神学教育の課題についていろいろお話を伺う。

で、月曜日はそこそこ天気が良いので、窓ふきしたりゴミ捨てしたりと引っ越し作業を進めつつ、持って帰る荷物をカバンに詰める。
預け荷物は一人20kgなので、理論上5人家族の私たちは合計100kgまでOKなわけで、あーそれだけあれば余裕々々などどタカをくくっていたら、簡単にオーバー。
仕方がないので、重そうなコピー資料とか本とかを手荷物にするが(あきらかに本末転倒)、意外に子どもの服が多く、どうにもオーバー。
やはり先の荷物搬出の際に、多少その後の1週間不便になったとしても、もう少し送っておくべきだったと反省するが、もはや後の祭り。
あとはチェックインの際に、「オーバーしてる」と言われた時点で何かを、見送りの人に預けるか機内持ち込みにしてやり過ごすかしてお茶を濁すことにする。

そしてついに離独当日。
予定では午前11時半にニュルンベルク発->アムステルダム13時半、アムステルダム15時半->成田翌朝10時着というスケジュール。
できれば到着した午後には、早速あれこれの役所関係の手続きに取りかかりたい、という思惑があって、敢えて朝到着の便をブッキング。

大小取り混ぜ預け荷物6個に及ぶ大荷物と、やはり大小取り混ぜ7個になる機内持ち込み手荷物という、膨大な荷物を空港まで運ぶため、この日は、村の海外宣教局のスタッフ兼神学校の宣教学講座講師の方で、子ども5人(うち双子が2組)がいるためVWバスを擁する元タンザニア宣教師にお願いして送ってもらえるように、あらかじめお願いをしたところ、実はその日の11時頃到着の便で、タンザニアから新しい留学生がニュルンベルクに到着するので、そのついでに送ってもらえることになる。

で、11時半のフライトのため、10時前ぐらいにはチェックインをしておきたいという私たちの希望で、朝8時半頃に自動車でお迎え。見送りしてくれる留学生仲間や子ども友人達は鉄道で出発、ニュルンベルク空港で落ち合って涙の別れ、さらばNeuendettelsau、さらばNuernberg、さらばDeutschland、あ僕はまた夏に来なきゃ行けないんだったっけ、えへっなんて感じで万事が上手く進む予定だったが、なぜか7時半頃から突然の降雪。しかもドカ雪。1時間の間にあっという間に積雪10cm。

雪の中をお迎えに来てくれた先生の車に大量の荷物を詰め込み(でもさすがVWバス、まだまだいけました)、新しく来る留学生の出迎え要員である、現在留学中のタンザニアからの留学生と一緒に自動車に乗り込む。
「多分雪だから、出発は遅れるんじゃないかな〜」という話をしながら、途中突然の積雪でスリップしそうになるなどの軽いジャブをくらいつつ、一路自動車はニュルンベルク空港へ。
さすがにニュルンベルクとその近郊には、大して雪は降っていません。
まぁこれなら多少遅れても大丈夫だろうと思いつつ、荷物を下ろしてチェックインカウンターへ向かう。
と、これまた見送りに来てくれていた、神学校の古典語の先生で留学生担当でもある方が登場。にこやかな挨拶もそこそこに「なんかね、アムステルダム行きの便、欠航らしいよ」とのこと。って、えぇぇぇぇぇ〜!
あわてて航空会社のカウンターに行って見ると既に長蛇の列。どうも荒天のため、アムステルダム行きが全便欠航になったらしい。
で、30分ほど並んで、代替便の手配を依頼すると「夜8時半発、パリ経由、成田到着翌日19時の便しか空いてない。そうでなければ明日の朝9時半発でパリ経由、翌10時成田到着の便しかない」とのこと。ってえぇぇぇぇぇ〜!
運良く、宣教学講師と古典語講師の二人もドイツ人が見送りに来てくれていたので、二人とも突然に「ドイツ人モード」でクレームをつけまくって、より良い条件での代替案を引き出そうと交渉してくれる。
ドイツ人からクレームをつけられると本当に困るというかもうお手上げだけれど、こういう時はドイツ人がいてくれるのは心強い。
ところが、そういう相手もやはりドイツ人。今日はイースター空けで予約が一杯だ、一人か二人ならなんとかなるが5人は無理だ、でもホテル代を出すことは出来ない、などなど絶対に譲らない。
このままではもうどうにもならないので、妻と相談の上、20時半の便で発つことを決断。先生達は粘って、待ち時間用に空港内で使える金券、一人12EUR(1,800円ぐらい?)を勝ち取ってくれる。感謝。

とりあえずニュルンベルク市内に出て夜まで時間をつぶすことにする。しかし、時間を潰すにも、手元には大量の荷物が。そこで、夜の便だが今の内にチェックインして荷物を預けられるかどうか交渉に行くと、まぁいいでしょうとのことなので、チェックインすることに。
ところが、再ブッキングしたことが原因でなにかうまく手続きが進まない。どうも窓口係員がこういう状況に対処したことがないらしく、ものすごく手間取り、一回したチェックインを一旦取り消してもう一回やりなおして、また取り消して、みたいなことをしている。別の係員が見に来て、どうも最初の段階での確認ミスだったらしいことを指摘するが、そこはやはりドイツ人、首をわずかにかしげつつ両肩をちょっと上げて両手の平を上に向けて軽く広げる「私のせいではありませ〜ん私のしったこっちゃありませ〜ん」のポーズを決めて応対。現代のドイツでは最後まで自分の意見を主張し続けた方が正しいですから、そう簡単に謝っちゃったりなんかしたりしません。
と、そんなことをしている間に30分が経過。重たい荷物も何とか預けて、なんとか手続きが終わる。
すると「荷物が14kgオーバーです。1kgにつき30EUR(=5,000円ぐらい?)の超過料金がかかりますから、搭乗までに向こうのカウンターで払ってください。」とのこと。って、つまり30EUR*14kg=420EUR(=63,000円ぐらい?)っって、ええぇぇぇぇぇ!
いや、そういうことは先に言ってくださいよ。そんな金額払えませんよ。というわけで、先に知ってたら荷物を詰め替えたよ!とさすがの僕もクレーム。向こうも「これでも既に一人2kgづつのおまけをしています。これ以上はどうにもなりません」とけんもほろろ。ここまで付き添ってくれた古典語の先生がすかさず「じゃぁ、詰め直しするから、もう一回荷物を持ってくるように」と宣言。窓口はかなり険悪な状況に。でもお客様のご要望に窓口係員は応えねばなりません。結局、預けた荷物をもう一回持ってきてもらうことに。
しばしの作戦会議の結果、子どもの着替えが入った(預け荷物の中では)一番小さいスポーツバックをどうにかすることに。
この辺りで、最初の窓口係員の人は勤務時間を終えてさっさと帰宅。隣の窓口の、明らかに能力の高そうなトルコ系の方に担当が変わる。どうやらこの方の勤務終了時間も来ているらしく、適当にさばいて、さっさと決着をつけることを当面の最大の目標にしていることが明らかに見て取れる。そして一言、「そのカバン、機内持ち込み手荷物の大きさの規定内ですか?」そこで、いわゆる『手荷物の大きさはここまでです』のゲージに入れてみると、わずかに脇のふくらみがつっかえている。「他のカバンにはみ出した分を移して、機内持ち込みにしてください。」』ここに事件は一気に解決に向かってへと動き始める。実はそれでも若干重量オーバーだが、見ないふりして通してもらうことに。

これと並行して、宣教学の講師の先生は、タンザニアからの新留学生をピックアップしようとするが、どうもこちらもアムステルダム荒天の影響かなんかで、予定の便が到着しないことが判明。あわてて乗客リストを探してもらい、どうも夕方の便になっているらしいことが判明。先生の予定の関係で、一旦出直すことに。

とにかくようやくチェックインを終えて、見送りに来てくれた、隣のアパートに住んでいるインドネシア人留学生一家(うちとは息子同士が小学校のクラスメート)とニュルンベルクの街中に出かけることに。ただいまの時間およそ12時。19時半ごろ空港に戻るとして、それまでどうやって時間を潰したものか…映画でも見に行くか…と思っていたら、ニュルンベルクに住んでいる別のインドネシア人留学生の家に電話したら、昼飯を食べに来いと言っているとのことなので、この際お邪魔することに。
冷凍ピザなどを焼いて食べさせてもらい、16時半頃までしばし休憩。おかげで、子ども達は少し体力を温存することが出来ました。
荷物の詰め替えもしないといけないし、万が一また飛ばないということになったら困るので、少し早いが、16時半にそこのお宅を出て空港に向かう。
最後まで付き合ってくれた、隣家のインドネシア人留学生一家と空港で涙のお別れ。
彼ら一家もうちの家族と同時期にNeuendettelsauに来たので、彼らとは家族ぐるみでいわば盟友でした。

さて、とりあえず今度の便は欠航無しらしいことを確認。
フライトまではあと2時間以上ある。
とりあえず、いろいろあってここにきて増えてしまったエコバッグみたいなズタ袋にいれている手荷物を、機内持ち込み可能な大きさの一つのバックにまとめることにして、空港のショップにカバンを買いに行く。午前中に便を振り替えた時にもらった金券を使おうとするが、なんとそれは売店の食べ物にしか使えないことが判明!え〜っ、60EUR分(=9,000円ぐらい?)ですよ。いくら5人だからって飛行機搭乗前にそんなに食べないって。うちの子ども達乗り物酔いするから。
しかたなく、まだ利用可能なデビットカード(ドイツではクレジットカードよりも、EC-Karte=デビットカードでの買い物が一般的)で購入。くくぅ、こんなことなら、クソ高い空港ショップではなくて、ニュルンベルクの街中で買ってきておくべきであった…と妻が特にくやしがる。
とりあえず空港ロビーでこそこそと荷物の詰め替え。
この時点で既に預け荷物が無いにもかかわらず、あたかも預け荷物をまだ持っているのではないかと思えるぐらいの大量の荷物になっている。

そこへ、比較的空港の近くに住んでいる、一番下の息子の日本語補習校でのお友達がお母さんと一緒に見送りに来てくれる。
イースター休みで退屈していたらしく、しばらく一緒に遊んでいただきつつ、60EUR分の金券ならぬ売店用食券を使い切るべく、パンをかじったりアイスを買ったりする。

そうこうしている間に19時半頃になったので、そろそろ搭乗口に向かうことに。セキュリティチェックの所で、補習校のお友達とお別れ。
例によってテロ対策の関係で、液体やらコンピューターやらは全部出せと言われる。まぁこれは当然予想済みなので、さっさと出して通り過ぎる。

ニュルンベルク空港は小さな空港なので、搭乗口にはすぐにたどり着き、飛行機まで向かう空港内バスの到着をしばらく待つ。
この辺で、子どもも大人もかなり疲労の色が見えて来るが、「パリで日本行きに乗り換えるまでは何とか頑張って〜」と互いに叱咤激励。
連絡バスが到着したので、ゲートに並んでチケットを出すと、係員が「荷物の重量超過があるようですが、支払いは済みましたか?領収書はどこ?」と訊いてくる。なに〜!ここで引き下がってはこれまでの苦労が水の泡であるので、それはもう解決済みなんだよ!チェックインカウンターの係員が消し忘れたんだようよう!俺たちゃ荷物の詰め直しをしたんだようようよう!というようなことを夫婦で口々に訴える。係員は非っ常に訝しげな顔をしつつ、通してくれ、連絡バスに乗車。
やったー勝ったー!勝ったよー!僕たちは勝ったんだー!と喜ぶまもなく、バスから一番に降りて、機内持ち込み荷物を入れる場所を確保しようと、一番上の息子と共に走る。
大荷物を抱えて機内に入ろうとすると、エールフランスのフライトアテンダントの女性が制止して、フランス語で私たちの荷物をさして何か言い出した。ドイツで聞き返すと、やっぱりフランス語で説明してくれる。ここはまだドイツだっちゅうの。フランス人は相手が理解しようとしまいと必ずフランス語を使うのであった。とにかく、どうやら手荷物は地上のカートの上に置けと言っている(らしい)。でも既に息子と僕の後ろのタラップは長蛇の列で地上までとても戻れない。しかたがないので、フライトアテンダントに荷物を預ける。なんだ、こんなことなら焦って走る必要なにもありませんでした。
さて、乗客が全員搭乗したところで離陸準備に入る。この時点で夜9時近い。隣に座った下の息子はもう既に眠りかけている。反対側に座った、上の息子に目をやると、「これでドイツとさよならか…」と少し涙ぐんでいる。
彼も3年前ドイツに着いたばかりの頃は慣れないドイツ暮らしに涙することも多かったのに、この3年間でドイツというかNeuendettelsauでの生活に馴染むことが出来たところでまた引っ越しなわけで、親の都合で子どもに迷惑をかけるなぁ…と申し訳ない思いに苛まれる。

そしてついに離陸。さようならニュルンベルク、さようならドイツ。機体は一路、パリへ。
2時間足らずでパリに到着。乗り換え時間が結構短いので、眠ってしまった下の息子をたたき起こし、大量の荷物を抱えて広大なパリ・シャルル・ド・ゴール空港を急ぎ足で駆け抜ける。
出国審査の所では「滞在許可が来週までだけど?いいの?」と(フランス語で)訊かれる(僕はわからないので、妻が聴いた)。そんなのわかってんだよ!だから日本にもどるんじゃないか!とわめきたいところだが、そこは急いでいるので後回し、「もんだいあーりません」と軽くスルー。

ついに搭乗口に近づくが、振替輸送なので、搭乗前に再度予約を確認すると、座席が3カ所にバラけているらしい。仕方がないので、上の息子は一人で座ってもらうことに。一番上には苦労をかけるねぇ・・・。
そして夜の12時少し前、ついに搭乗。なんとか大量の荷物をあちこちの棚に詰め込み、それぞれ座席に着く。
ほどなく離陸。あーさようならヨーロッパ。とはいうものの、このあたりで疲労もピークを迎えているので、もう感傷にひたる暇もない。
下の息子は以前に飛行機でゲボしまくりの前科があったため、かなり警戒していたものの、真夜中発が幸いして、速攻でご就寝。そのまま約7時間ほど、ゲボもせず眠り続けてくれたのでした。まさに塞翁が馬。

そしておよそ11時間後、飛行機は特に問題もなく成田に到着。
ひょっとしてひょっとして押捺を求められたりするだろうか・・・という不安を抱えつつ、入国審査を待つ。
求められたゴネるしかないわけで、万が一の場合は万事よろしくと、とりあえず妻子に先に行ってもらう。
比較的若い入国審査の係官に、平静を装ってパスポート(とそれについている再入国許可)と、更新期限の来た外登証を呈示。・・・「はい、どうぞ」やったー、やったー、何も言われなかったよー。妻子の待つ窓口の向こう側に走る。当然妻は、もうどうでもいいからはよ帰ろう、というオーラを全身から発しているので、荷物を拾いにさっさと向かう。
なにしろ大量の荷物なので、全部ピックアップするだけでも結構な時間がかかる。
おまけに、eBay(世界最大手のネットオークション)で買った旅行鞄は結構ヤワで、2つのカバンが壊れてしまっていました。
とりあえず全部ピックアップした後、カートに大量の荷物を載せて税関へ。
手荷物の中には特に申告するようなものは何もないのだけれど、税関で必ず引っ越し荷物の免税申告書にサインをしてもらってくださいね、と引っ越し屋から何回も念を押されているため(忘れて出てしまう人が結構あるらしい)、それだけは忘れないようにして、とりあえず税関を通過、到着ロビーへ向かう。
(ちなみに申告書は2枚を作成して、一枚を提出、一枚は控えとして受け取って、到着ロビーに出た後で、引っ越し屋の窓口に提出することになっている。)


到着ロビーでは、荷物運び要員として私の両親と妹、そして妻の両親が出迎え。
再開の喜びもそこそこに、引っ越し屋の窓口に免税申告書の控えの方を提出。
ここで、さしあたっての連絡先として、さしあたっての滞在先である妻の実家の電話番号を記入するが、疲労もピークを通り越し、また日本の地を踏んだもののまだ足が地についていないような状態だったせいか、婚約時代に妻が住んでいた家の電話番号を書いてしまう。いやーたしかにあのころはよく電話してましたからね。何か、その電話番号が最初に出てきちゃったんですよ。お恥ずかしい。

そんなダメ押しの失敗をやらかしつつも、出迎えの皆様に御引き回しいただいて、何とか妻の実家まで到着。
当初の予定よりも半日遅れての到着でしたが、とりあえず家族全員無事に再び日本の地を踏めたことでまぁ良しとしよう、というところでしょうか・・・。


・・・さて、そのようなわけで、3年半に渡って駄文を垂れ流して参りましたこの「ドイツ滞在記録」ですが、ついに一つのWendepunbkt(転換点)を迎えることとなりました。
今後は「ドイツ(ときどき)滞在記録」としてお送りして参りたいと思います。
またのご愛顧を心よりお願い申し上げます。

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2008.03.29

ご挨拶

3月26日、無事に家族揃って日本に戻って参りました。

心配していた大量の荷物、いろいろお茶を濁しつつなんとか無事通過。
心配していた入国審査も、押捺無しで無事通過。

この3年半の間のご支援に心より御礼申し上げます。

いろいろなハプニングがありましたが、それはまた改めて投稿致します。

とりいそぎ日本に戻ったご挨拶とさせていただきます。

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2008.03.21

面談終了

昨日は、指導教授との最終の面談。
ドイツにいる間に出来るだけ大枠を書いて、それを教授に見せて行くのが、最も好ましいスケジュールだったわけですが、誠に残念ながらドイツを離れるまでに大して分量を書くことはできませんでした
そうは言っても何も持たずに、のこのこ教授の前に顔を出す訳にもいかず、とりあえず徹夜で準備。週末の荷造り以来こんな感じが続きます。
について造りの際にも、この面談で使うであろう本や資料は箱詰めせずにお取り置き。(この行為の論理的帰結として、手荷物として担いで飛行機に乗らなければならないということは、明白である。)
面談時間の直前までかかって、論文全体の結論となる内容について一応まとめる。でももうプリンタは荷出ししちゃって自宅にない。
しかたが無いので、データをUSBスティックに入れて神学校で印字、5分遅れで教授の研究室へ駆け込む。

「残念ながら、大した分量は書けませんでした。だから今日は結論部分についての基本的な方向について相談したいと思います。」といきなり宣言しつつ、不信そうな顔をする教授を前に自説をご開陳。
レジュメの説明をしつつ、手荷物重量の超過覚悟で残した資料や本をここぞとばかりに見せつける。
おかげでそこそこ納得して戴けたご様子。
一通り説明が終わったところで、教授が一言、

「あなたのアイデアは面白いと思う。これを上手くまとめられたら、新約研究に新しい視点を提供することも可能だろう。で、だから(能書きはいいから)書いて」[括弧内は引用者による補足]

はい。その通り。仰る通りです。ぐうの音も出ません。

その後、今後のスケジュールについて相談。とりあえず1章分書けたらメールで送って内容をチェックしてもらうのは当然のお約束。いや〜15年前だったらこんなの無理だったろうな〜。ほんとネット様々です。
で肝心の今後のロードマップの方は、次回いきなり提出のために来独、というわけにはいかないことに。半分書けたら中間報告・面談のために一回来る方が良いとのこと。指導教授の立場としては至極順当なご提案です。
でもそうなると、当然最終段階に至るのが、当初希望的に観測していた予定よりも半年ほどズレ込むことは必至なわけで、いささか情けないというか、忸怩たる思いが心に満ちる。でもこれも身から出た錆なのでどうしようもないわけで…。

とはいえ、いずれにせよこれで一応、荷出しにならぶ離独準備の最大の山場はクリア出来たということで、ちょっとほっとしたのでした。

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2008.03.19

引っ越しまでの遠い道のり

昨日、荷出しがついに完了。
最後のぎりぎりまで慌てて作業しているのをいいわけに、妻に荷造りを完全委任。
で、ほとんどのものはとっくに荷造りがおわっているのだが、私のものだけは最後まで当然残るわけで、この土日に不眠不休でなんとかマニア合わせる。
当然荷物は原則船便なので、東京に到着するのはおよそ2ヶ月後になる。
だから、どうしてもすぐに必要な資料とかは手持ちになるので、どれを持って行くか選んだり、ためにためてた文献表とかを一気に作成したりしつつパッキング。なんとかぎりぎりで間に合う。あいかわらずの瀬戸際の魔術師ぶりだが、さすがに体がもたなくなってきました。

ちなみに、こちらで住んでいるアパートは帰国宣教師用住宅なので、家具・食器・リネン類などは全て備品。なので、荷物は全てその他の生活用品と本。
費用の関係で、できるだけ4立方mにおさまるように箱にできるかぎりぎゅうぎゅうに詰め込む(船便は重さは関係ので)。

子どもの服とかまぁある程度かさばるのはしかたがないのだが、問題は本。
基本的に本はこちらの図書館で借りているのだが、それでも購入した本はなんだかんだで結構多くなってしまった。
その他の資料・コピーの量も結構すごいです。
荷物の6割は本(もちろん子どものものも含めて)と資料でした。
当然、テオリー通り本は一番小さい箱に詰めるわけだが、引き取りに来た人(一人だけ)が、その重さと数の多さに呆気にとられているので、このままではラチがあかないと、積み込みを手伝う。おかげで筋肉痛に。日本から持ってきた湿布薬をここぞとばかりに貼るが、きっと明日はもっと痛くなるのでしょう・・・。

で本日は、神学校に行ったり、銀行に行ったり、大家である海外宣教局にいったりして、各種残務処理。
午前中最大の山場(?)は自動車の処分。
うちのアパートの隣が自動車修理工場で、大変親切に右も左も分からん外国人相手にこれまでも修理の相談にのってくれていた。
なので、そこで引き取ってもらって、登録抹消のための各種手続きをお願いする。
本当に親切な車屋さんで、本来ならばこちらが廃車費用を出さないといけないぐらいのポンコツなのに、餞別代わりに一応「買って」くれて、「今度また来ることがあったら、その時はポルシェ持ってきてね。がはは」と言う。
なんかあまりドイツ人らしくないな〜と思ったら、電話で突然イタリア語をものすごく流ちょうに話し始める。
え〜、イタリア語ものすごく上手ですね!と言ったら、「だって、イタリア人だから。もう40年ドイツにいるけど。」
根拠は無いが、なんとなくこれまでの一連の対応「ノリ」に納得。

午後は留学生仲間が企画してくれた「アジア風送別会」。
「アジア風」というのは、送別される人がゲストだという意味。
昨今のドイツ(よく知らないがどうも北西ヨーロッパ一般にそうらしい)では、子どもだけでなく、大人の場合でも、個人の誕生日だろうが内輪の送別会だろうが、お祝いされる人がGastgeber(ホスト)で、お祝いしてくれる人がGast(ゲスト)というのが普通らしい。
要するに、お祝いしてもらいたい人が、自分の都合を最大限優先することを追求するためには、そうなるらしい。
で、一応子ども達のためのお別れ会だけは考えていたのですが、大人用にはそんなことする時間的余裕も言われも全くないので、知らん振りをしていたら、インドネシアからの留学生仲間が、「やっぱりやらなきゃだめだ!おまえに時間が無いなら、私たちがやってやる!インドネシアじゃ残る方が送別会を開くのが普通だ!」ということに。あ、やっぱりそうなのね。ちなみにイタリアに留学していたラテン語の先生に訊いたら、イタリアでもそれが普通らしい。ヨーロッパと一括りに言っても、地中海文化圏と北海・バルト海沿岸文化圏の違いの大きさを感じる・・・。
というわけで、「アジア風」送別会をやることに。指導教授や、お世話になった宣教学講座の教授にも声をかけるように、「主催者」から言われてご招待。お二方とも、義理堅く顔を出してくださいました。
送別会のお開きの際には、ため込んでいた日本関係のグッズを皆様にお土産として大放出(これも正しくアジア風と言えるか・・・?)

明日は、指導教授と最後の面談。
あまりにも遅れている行程をいいわけして切り抜けるためのネタを今晩徹夜で作成中。緊張です。

村内では今やイースター(Ostern)のための飾り付けなども散見。
春は間近ではありますが、今日はまだ一日寒い風が吹いていました。

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2008.03.09

ついにiPhone入手!ってウソですごめんなさい

Cimg1312ほとんどやけくそで連日エントリ投稿が続いております。

というわけで、ついにiPhoneを入手!

…すいません。
もちろんウソです。大ウソです。ウソ言いましたごめんなさい。
だいたいそんなの買えるわけないじゃないですかっ!
日本で携帯電話として使えないのに、しかも同じ値段でiPod touchが買えるのに、そもそも今使ってるOSはまだMacOSX10.3.9Pantherだから、まずOSをアップグレードしないと使えもしないのに!きーっ!(<−もう逆ギレ)

Cimg1316

実はこれ、昨日息子とニュルンベルクNuernbergの街中に出たときに、T-mobileショップに並んでたiPohneそっくりの外見のチラシなのでした。




Cimg1306 (ニュルンベルクのT-mobileショップ。展示の横には巨大iPhone型ディスプレイが…。)
当然、息子と共に二人分のチラシをとってきて、これは大事に持って帰ってみせびらかすことを誓い合う。(<−もうただのアホ親子)
しかし息子も「これってつまりポケットに入るコンピューターってことだね!本当にかっこいいねぇ〜。」と良い感じにツボをおさえつつ感動。さすが我が息子(笑)、所詮カエルの子はカエルっつーことですね。


Cimg1309 その息子が、帰りにカフェで食べたアイス"Kleine Portion mit Sahne"(「小」盛り生クリーム付き)…ってどこが「小盛り」やねん!と言うのが我が家のお約束。
でもメニューの中ではこれが本当に一番小さい。
当然一人では食べきれず、二人で分けました。

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2008.03.08

今日は

妻は着々と日本に戻る準備を進めています。
負けじと僕も今日は隣の自動車屋に行って自動車の処分について相談して来ました(ていってもものの5分ですんでしまいましたが)。
そして村役場で引越し届。
本来、これはもっと離独直前でも構わないのですが、インターネットのプロヴァイダに解約通知をする関係で、転出届の受領書が必要なため、ちょっと早めの届け出となりました。
(転出日として離独予定の日を記入。)
来週早々には、この受領書をプロヴァイダに解約通知と併せてFAXすることになります。
あっ、受信料の自動引き落としの解約もしなくては…。(これもFAXしなくては…。)
そう言うわけで、着々と引越しの準備の方は進んでいっています。
着々と進まないのは論文だけ…。
精進精進。

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